キャリア

2023.06.25 11:00

日本にいま「ソーシャルジャスティス」が必要な理由

成相 通子
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──一歩踏み出すという決断から、米国の医師免許を取得して、働き出してからもかなりのご苦労をしたそうです。どうやってその大変な時期を乗り越えたのでしょうか。

日本の医学部にいながら、米国の医師国家試験を受けるというのは、我ながら大変なことをしたと思います。米国の医学生が2年半か3年ぐらいかけて受ける試験を4カ月で受けたんです。最終的に体を壊してしまうぐらい詰め込み勉強をしました。でも、その後、日本の医学部を卒業してから米国で医師として働き始めた時の方が何百倍も大変だったんです。みんなに追いつこうとものすごい努力をしました。

なんでそんな大変なことをしたかというと、自分のキャリアアップやいい仕事経験を得るためではありません。自分の幸せをつかみに行くためです。

先ほどの「しずかちゃんの気づき」があった時に、人生をどうしたいのかと自分と向き合いました。自分は「パッションを遺憾無く発揮したい」と思いました。私は脳が好きで、科学が好きで、人が好きで、ソーシャルジャスティスをコアに持っている。それを思いっきり発揮する人生を送りたい。

だけど、日本には間違いなくバリアがある。自分のパッションを発揮できるのは、それができるのが「普通」である場所です。「女性だから」と特異な目で見られたりするのではなくて、それが普通で、当たり前。周りにもたくさんそういう人がいて、みんなが応援し合う環境が必要だと思いました。

日本でも女性でそういうふうにできる人はいるのかもしれないけど、当時の私には、日本ではまったく想像ができませんでした。一方、米国ではそういう働き方をしている人がいる、あっちに行ってみたら大丈夫かもしれないと思えました。確信があったというより、できるかもしれないという夢は持つことができた。その幸せを夢見ながらやっていました。

イェール大学で研修医として働いていた時は、本当に大変で毎日泣いていました。でも心から幸せを感じられる場所でもあったんです。すごくいい友人ができたり、いまの夫とも出会えたり。すごく苦しかったですが、私の能力をできる限り発揮できる場所ではあった。だから帰りたいと思ったことはないし、後悔もありませんでした。

──米国でも差別はあると思いますが、日本の差別とは違うのでしょうか。

質の違う差別は間違いなく米国にもありますし、嫌な思いをする場面はいまでもあります。でも日本と違うのは、それが差別だと認識されていて、社会的に言及されていることです。私が一人で一生懸命言わなくても、みんなわかっているので、一人で嫌な気持ちになる時間が少ない。

無意識の差別もまだもちろんたくさんあるんですが、議論の俎上に載っている。私が発言することが特異ではないという感覚があるし、それを変えたいというエネルギーもある。米国は分断の国なので、変えたくないという真逆のエネルギーも大きいんですが、変えたいと思っている人も多い。反対の意見を持っている人たちに対しても意見を言っていいという土壌があります。
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