暗い史実の重みに慄然
読者にまず味わっていただきたいのは、この時代の緊迫した不穏な空気だ。ストックホルムの湖で四肢を切断された死体が見つかり、発見者の退役軍人で風紀取締官と酒場の用心棒を兼ねるジャン・ミカエル・カルデルが、警視庁に雇われた肺病で余命いくばくもない元法律家のセーシル・ヴィンゲに協力して、猟奇的な事件の真相を追う『1793』。一方、『1794』と『1795』では、いったんは解決を見た先の事件のさらなる深層にメスがふるわれる。セーシルとは好対照の弟エーミルと新たなコンビを組むことになったカーデルは、トレー・ロートル家の次男をからめとった数奇な運命を詳らかにしながら、一連の事件を生んだ社会の病根を暴くために、見えない「怪物」との闘いに飛び込んでいく。
このように、前日譚の『1793』と、その後の物語である『1794』と『1795』では、作風ががらりと異なる。前者は純正のフーダニット(犯人探しのミステリ)であったのに対して、後者は実在の人物を多数交えた複雑な人間模様の絵巻のなかで、社会を裏側から操らんとする悪の正体を炙り出していく。
歴史・時代ロマンとしての面白さは、イギリスの作家である名手ジェフリー・アーチャーを思わせるといっても過言ではなく、3部作を通じて活躍する隻腕の探偵役カルデルや、頭脳明晰なセーシルと不肖の弟エーミルのヴィンゲ兄弟、鍵を握る女アンナ・スティーナ・クナップらも、容赦なく運命の歯車に蹂躙されていく。
窮地に陥ちた彼らが残酷な運命にあらがい、いかにして前を向き進んでいくのか。彼らを待ち受ける波乱の数々に、読者はページをめくるもどかしさで身悶えするに違いない。
しかし、真の主人公は、言うまでもなく悲劇の舞台となる18世紀末のスウェーデン社会である。ヴェネツィアやブルージュと並び称される美しい水の都ストックホルムの来歴に隠された暗い史実の重みには慄然とするほかない。
その暗く深い闇を象徴するのが、『1793』で解き明かされていく想像を絶した死体の来歴や、『1794』で描かれる悪魔の宴とも呼ぶべきおぞましい事件だろう。
フランスのピエール・ルメートル(『その女アレックス』)やジャン=クリストフ・グランジェ(『クリムゾン・リバー』)は、朽ちかけたモラルや後退する正義の象徴としてデモーニッシュな犯罪を描いたが、本作の作者の思惑は、読者に「過去」と「現在」の極めて近い距離を意識させることにあるのではないかと思う。
「過去」と「現在」は、「物語」と「現実」に置き換えてもいい。作者の描く抑えのきかない暴力や酸鼻極まるシーンは飽くまでフィクションだが、そこに流れる悪しき空気が現実にもどこかで嗅いだことがあると思わされた読者は、すでに作者の術中にあるといっていいだろう。
貧困、腐敗、差別。さらにその先にある独裁、そして戦争。作者は、歴史をふり返ることで、脆弱な平和に安住し、ディストピアと隣り合わせの現実を正視しようともしない人々とその現実を憂いているに違いない。
3巻を合わせると1800ページという悠々たる長さに、ミステリの面白さと大河ロマンの読み応えを詰め込んだ本作は、堂々たるエンタテインメント文学でありながら、現代社会への警鐘ともいえる。
不穏な緊張感が世界を覆うこの時代に創設された日本推理作家協会の新しいミステリ賞に、読者を忘れてはならない過去に立ち返らせようとする本作が選ばれたことは、大きな意味があると思う。