米原行きの終電に乗り、途中の彦根駅で下車しなければいけないのに、車内で寝てしまい、気が付いたときには終点の米原駅だったことも。「仕方なくタクシーに乗って家まで帰りました」。夜遅くまで実家から離れたところで働くのは「体がもたないな」と思うようになった。
「障がい者雇用か、否か」で揺れる
コンビニ店のアルバイトを続けながら、再びハローワークで仕事を探し続けた。悩んだのは、障がい者雇用にするか、健常者として働くかの選択だった。西山さんには軽度の知的障害と発達障害がある。コンビニ店での面接では思い切って障害があることを話したが、心の中には葛藤があった。再審無罪を求め、支援集会で講演するときも同じで、なかなか自分の口から見ず知らずの人に告白することはできなかった。
思い切って障害のことを自ら切りだせるようになったのは、出所から1年ほどが過ぎてからだった。
「私には12歳の知能しかありません」
ある講演で、そうはっきり口にすると、会場は静まり返った。なぜ、思い切って打ち明けたのか。その真意を西山さんはこう語った。
「障害のことを隠しているうちは、冤罪だと言っても、なかなか納得してもらえなかった。やってないのに、なぜ『やった』と言ったのか。なぜ、刑事を好きになったのか。そこがうまく伝わらなかった。せっかく講演しているのに、聞いている人に理解してもらわなければ、意味がない、障害のことを隠すのは、よくないな、と思うようになった。それで、思い切って告白した。それ以来、聞いている人が『障害のある人が大変な思いをしたんだな』『好きになってはいけない相手(取調官)を好きになってしまったんだな』と受け入れてくれるようになった。常識では理解できないことが、聞き手の中でつながっていく、というのかな。それで、自分の障害を相手に知ってもらうことは、お互いのために大切なことなんだ、ということが分かった」
仕事を選ぶ上でも同じだった。
「障害者枠で仕事を探していると、自分は人よりも劣っている、という考えが頭のどこかにあって、なかなか前向きになれなかった。でも、障害は自分の個性。隠したり、恥ずかしがっていては前に進めない。講演での経験から少しずつ、そう思えるようになった」
「障害をオープンにして良かった」 コンビニの次に得た仕事
出所から1年3カ月後の2018年11月。コンビニでのアルバイトを辞めた西山さんが新たに選んだのは、大手機械部品会社の障がい者枠での雇用だった。
「障害をオープンにしていて良かった、と思う。行政の支援が大きい。専門のスタッフがついてくれ、職場との間に入っていろんなバックアップをしてくれる。何かあっても、相談できるところがあると安心。とても働きやすい」