「何言ってるの、福田さん。この子は牛の姿を通して自分を語っているんだよ。怖くないよと言っているのは、自分が本当は怖いんだけれど、自分は怖くないんだよって、彼の内側にあるものが、その言葉につぶやきとして出てるんだよ」と言われたという。
「ハッとさせられました。何も私はこの子のことを見ていなかった。何を内面で耕しているのかを感じ取れていない。教師として、こんなにも無力なんだということを、突き付けられました」
教師が感じ取ること、寄り添うこと。そこから「内からの教育」は始まる。
「周りから何をしなきゃいけないからじゃなくて、あくまで教育は子どもの内から。その姿勢をみんなで学び合い、取り組んで、今日の伊那小学校があります。教師の願ったとおりに流れる授業が素晴らしい授業だと教わってきましたが、伊那小学校に来ると、『教師が思ったように動くなんて、子どもはそんなものじゃない』というふうなことが自然に会話されているんです」
不易と流行─ 福田はやってきた教育を、いつもでも変わらない「教育の不易」と表現する。
「答えなんてないじゃないですか。一度わかったと思えても、すべてが氷解したわけではなくて、やっぱりわからないんですよ。次の機会にその子に寄り添えるかといったら、決してそんなことはない。でも、それを続けていくことが、学校で大事にしなくてはいけないこと。教師が子どもとともにあることが、私の思う教育の不易です」
こうした「内からの教育」のよりどころとなっているのが、教員間の「同僚性」だ。連学年室という、職員室とは別に設置された教室がある。教員たちは1・2年生、3・4年生、5・6年生、特別支援学級のグループに分かれ、放課後に各連学年室で議論を重ねている。こうした遠慮のいらない同僚の教員同士で時に悩みを打ち明け、共に学び、気づきを得られる関係性こそ、60年間以上続く伊那小教育が引き継がれている基盤だ。
「牛のメイちゃんに語りかける彼の姿を通して、たまたま私は自分の至らなさを感じたけれど、急に次の日から子どもの内面に迫れる教師になれることはない。いまの先生方も同じで、もがき苦しみながらやっています。でも、この学校には同僚性があります。議論して学び合える環境に、尊さを感じています」
23年3月、福田は伊那小学校の校長を退任した。教諭、教頭、校長として14年間過ごしたこの学校を去った。
「校長が代わっても、この学校は大丈夫です。心配していません。信じて取り組んでいる教師像が受け継がれています。この営みを大事にできる学校だし、大事にできる先生方がここにおられる。私は校長としてこんな幸せなことはないと思っています」
福田は退職後、17年ぶりに学級担任として、別の学校で教壇に立っている。
「この学校にいて、本当にこの先生はすごいな、あの先生はこんなこともやっているんだ、と思っていました。でも、それが自分に突きつけられる日がまたやってくるんです。楽しみですね」
福田弘彦◎伊那市立伊那小学校前校長(取材時点、校長)。1985年度より長野県内にて小学校教諭として勤務。伊那小学校にて教諭8年、教頭3年、2020年度から22年度まで校長職。23年度から長野県の辰野町立辰野西小学校にて教諭として勤務している。