通知表も時間割もチャイムもない、動物を飼育する─ユニークな教育活動で知られる長野県伊那市立伊那小学校。いまでは「先進的」と評価される探究的な総合教育を、公立小学校として、60年以上も続けてきた。勤務する教師も、通う児童、時代も変わるなか、変わらず引き継がれてきた。
伊那小学校のルーツは「信州教育」。大正期の新教育運動から派生した、子どもを中心にとらえる教育だ。1918年から長野県師範学校の淀川茂重の教えを受けた教員たちが伊那小学校に赴任し、いまの源流をつくった。
「伊那小学校は、理論で何かをやっていく学校でありません。先輩先生方が脈々と受け継いできた教育の実践は、子どもの姿として表れています。その子どもたちを見ると、新しく赴任した先生は自分がいままで正しいと思って進んできた教師観、題材観、子ども観を、覆されてしまうんです」
伊那小学校の教育観は、独特だ。なかでも特徴的なのは、学習題材。1年生と4年生からの各3年間、子どもたちの興味に従い、教師が選んだテーマに継続して取り組む。ヒツジやヤギといった生き物の飼育や、「林の暮らし」をテーマに間伐材を使った家や炭づくりなど、内容は多岐に渡る。
学習題材の選択は、新しく赴任した誰もがぶつかる壁だ。子どもたちの興味の対象をそのまま採用はしない。追究する価値があるか、学びを深めることができるか、一般教科とどうかけ合わせられるかを総合的に考え、徹底的にこだわる。
「子どもは私たちが引き上げてあげるような存在ではなくて、子ども自身は私たちなんか超えて、自ら学ぼうとしている存在である。それが、伊那小学校の子ども観。教え込むのではなく、寄り添うとはどういうことか、教員なら、暗中模索するなかでハッと気づかされる瞬間が必ずあります」
福田にも、そうした経験がある。子どもたちと飼育してた牛と散歩しているとき、近所の犬がほえかかってきた。すると、1年生の男の子が「メイちゃん」という名のその牛に「メイちゃん、あれは怖くないよ。ワンワンっていうのはね、大丈夫。怖くないんだよ」と繰り返し語りかけていた。