前出の張さんによると、深セン市零壱創新科技有限公司の社員数は200名ほどだが、複数の開発案件をグループ分けして、それぞれ市場で必要とされているものは何か、現状の製品に足りないのはどんなものかといったことを議論して、試作品をつくることを繰り返してきたという。
こうしたことを効率的に行うのに、若い有用な人材とサプライチェーンに恵まれた深センは最適な場所なのだという。
われわれにとって残念なことだが、デジタル分野で日本に先んじている中国は、日本人がまだ気がつかないような機知に富む新製品が生まれやすい環境にあることは間違いないだろう。
ケルアックの小説「路上」がモチーフ
さらに、筆者が興味深く思ったのは、同社を率いるジェームスこと鄭陽輝さんの人物像である。彼は1984年湖南省の生まれ、つまり中国で最初の消費者世代といわれる「80後(バーリンホウ)」の1人で、学生時代にはロックミュージシャンとして地元でならしていたという。
鄭陽輝さんとZOOMで話をする機会があった。彼には聞いてみたいことがたくさんあった。この世代の中国人の音楽体験はどのようなものか。それが彼にどんな影響を与えたのだろうかということだ。
鄭さんが大学に入ったのは2001年。専攻はヨーロッパ文学で、音楽サークルに入部し、ギターを始めたという。好きなジャンルはロックで、ポップスは好きではないという。「エンタメ要素が強い音楽はつまらない。ロックに内在する精神性、インスピレーションこそが今日の自分の起業家精神につながっている」と話す。
彼が好きなのは、1960年代から70年代のロックミュージシャンたちで、ピンク・フロイドやドアーズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどの名を挙げる。
ロックを聴くようになったのは高校生からで、X JAPANや日本のアバンギャルドな音楽シーンで知られる灰野敬二なども聴いた。その時代の反抗的な精神に心酔したというのだ。
また1980年代のグランジロックで知られるニルヴァーナも好きで、ブランド名のPIKATAは「ニルヴァーナ(涅槃)」のように古代インド仏教の概念から由来しており、「物を置くカゴ」を意味しているという。
「PITAKAの製品が、このカゴのようにお客様の生活に溶け込み、生活がより便利に、そして豊かであることを願っている」(鄭さん)
鄭さんは、そういう哲学的な話を好んで語る青年実業家なのである。
その話を聴きながら思い出すのは、2000年代半ば、彼の出身地である湖南省のテレビ局が、今日の中国では信じられないような意欲的な番組づくりで注目されていたことだ。
2005年に放映された「超級女声」というオーディション番組は、一般から女性の参加者を募り、歌唱力を審査するという内容で、中国全土で4億人が視聴したといわれている。