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2023.05.05

オムロン創業者の立石一真さん|私が尊敬するカリスマ経営者

立石の心の通奏低音には常に社会への貢献。社会に貢献できる技術の開発という思いが流れ続けていた。それはラフなデッサンだが、立石自らがエンピツで描いた「社憲」(社是)には次のように残されている。

「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」
 
これもあまり知られていないが、いまからおよそ50年前の1972年、日本初のベンチャーキャピタルをつくり、ベンチャー起業家を育てようとしたのも立石だった。「京都エンタープライズデベロップ」だ。
 
このベンチャーキャピタルを訪ねたのが28歳の起業家。どうしても資金援助が必要だった。土下座をする覚悟で門をたたいた。その起業家の話を聞き、実業を知った立石は、「よくここまでがんばりましたな。私の創業のときよりはるかに立派ですわ」と言ってその起業家に資金を提供した。
 
まるで拝むようにしてその資金を受け取ったのが日本電産の創業者、永守重信その人だったのだ。
 
こうして、立石のビジョンは時代を超えて引き継がれていくことになる。90歳で死去する前年には科学技術研究の支援財団を設立。そのベンチャー精神は最後まで衰えることはなかった。

立石一真 年譜
1900 熊本市に生まれる。
1908 父が逝去し小学1年生で新聞配達を始める。
1921 熊本高等工業学校電気科を卒業。
1922 井上電機製作所入社。
1930 希望退職し、ズボン・プレス業で独立。
1932 立石電機製作所を創業。戦後、マイクロスイッチなどを開発。
1960 資本金の4倍の2億8000万円を投資して中央研究所を設立。
1963 画期的な食券自動販売機と紙幣両替機を開発。
1965 神戸駅に自動券売機納入。近畿日本鉄道と自動改札機を開発。
1990 立石電機からオムロンへ。立石科学技術振興財団を設立。
1991 90歳で死去。


児玉 博◎1959年生まれ。大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動を行う。2016年、『堤清二「最後の肉声」』で第47回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。単行本化した『堤清二 罪と業 最後の「告白」』の ほか、『起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡』『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』など著書多数。

文=児玉 博 イラストレーション=リューク・ウォーラー

この記事は 「Forbes JAPAN 特集◎私を覚醒させる言葉」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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