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2023.01.02

東急グループ創始者の五島慶太さん|私が尊敬するカリスマ経営者

私が尊敬するカリスマ経営者

渋谷や田園調布をはじめ、鉄道を基盤とした街づくりに情熱を傾けた五島慶太。昭和の鉄道王がつくりあげた東急グループは今年、創立100周年を迎えた。グループのホテル部門を率いる村井淳の言葉と共に、偉大な実業家の軌跡をたどる。


私が尊敬するのは……

東急グループ創始者の五島慶太さんです。

五島慶太は、積極的なM&Aによって事業を拡大、グループ経営の礎を築きました。私も街づくりを軸とした壮大な事業構想に憧れ、東急を志望しました。その著書には「事業はまったく人である」「第一に健康、第二に熱と誠である」とあります。人的資本経営や健康経営の先取りです。東急も祖業である目黒蒲田電鉄設立から100年。慶太翁の人間像を展示した「五島慶太未来創造館」が長野県青木村にあります。ぜひ訪れてみてください。

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むらい・じゅん◎1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、東京急行電鉄(現・東急)に入社。同社リゾート事業部事業推進部統括部長、グループ事業本部第一部統括部長などを経て、2012年、東急ホテルズ取締役執行役員。18年、東京急行電鉄取締役人材戦略室長、東急バス代表取締役副社長執行役員などを歴任し、21年2月より現職。商学博士号を有し、ウイスキーをこよなく愛する。少林寺拳法は黒帯。

東急グループ創業者にして、日本鉄道史に深くその名を刻む五島慶太。その人生は、尋常ならざる精神力によって輪郭が描き出されている。

強引な合併を繰り返すことから、不本意なのみ込まれ方をされた側からは“強盗慶太”とそしられた。しかし、子細にその合併劇を見ていくと、そこには五島の粘り強い説得力、時を見極める周到さが際立つばかりだ。

その能力は幼少のころから発揮される。明治15年、信州の小さな山村で農家の次男として生まれた五島。満足に教育を受けられる境遇ではなかったが、父親を説得し、片道2時間余り歩いて尋常中学校に通う。経済的な理由から上級学校への進学は断念、代用教員となる。だが、五島は諦めない。21歳のときに、学費免除だった東京高等師範学校に入学。

卒業後は三重県で英語教師となったものの、上級学校への思いは断ち難く、25歳にして東京帝国大学(現・東京大学)選科へ、さらには至難の業といわれた法学部本科への入学を果たす。大学を出たときには、すでに29歳になっていた。
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文=児玉 博 イラストレーション=フィリップ・ペライッチ

この記事は 「Forbes JAPAN No.100 2022年12月号(2022/10/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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