「ロシアの戦車が大挙して押し寄せてくる。橋の爆破が必要です」
「では橋を爆破しろ。なぜ私にわざわざ電話をかけてきた?」とウォロディミル・ゼレンスキーは答えた。「この橋は共産主義大建設計画(Great construction、第二次世界大戦後、ソビエト連邦で行われた大規模な経済政策)で作られた歴史的な橋なので」と返答したチャウスに対し、ゼレンスキー大統領は「我々は今、大戦(the Great War)に直面しているではないか」と言ったという。
この会話は、ほぼ1年後に与党「国民の奉仕者」代表、ダヴィド・アラハミアによって公にされた。アラハミアは戦争の最初の数週間、バンコバ地区の地下壕でほぼ1日じゅう大統領と一緒にいた数少ない1人である。アラハミアによると、そんな緊迫の中でさえ、この逸話は皆を微笑ませたという。
「平時よりも効果的に機能」
戦争の最初の数週間はまさに深刻な時期だった。ロシア軍はキエフ、ハリコフ、スミ、ミコライフに進攻してきた。ウクライナはケルソンを失い、マリウポリも包囲された。侵攻の行方はまったく見えなかった。
だがこの1年間で、ウクライナを取り巻く状況は格段に改善されたといってよい。侵略の最初の数週間にロシア連邦が占領した地域はその半分以上が解放され、西側諸国の強力な連合は、12カ月前には誰もが夢にも思わなかった武器をウクライナに提供している。戦場で主導権を握ろうとするロシア連邦の試みは、軍隊によって撃退されつつあるといってよいのだ。
ハーバード大学ウクライナ研究センター所長セルヒー・プロヒーは2023年1月、『The Russo-Ukrainian War: The Return of History』(未邦訳:『ロシア・ウクライナ戦争─歴史の再来』)を上梓した。彼は「ゼレンスキーは驚くほど優秀な戦時の大統領であり、平時よりもはるかに効果的に機能している」と言う。実は政敵でさえも、侵攻時のゼレンスキーの活動を高く評価している。たとえば欧州連帯党副議長オレクシー・ゴンチャレンコは「ロシアからの侵攻の2月24日以来、ウォロディミル・ゼレンスキーは司令官の仕事を効果的に行っている」と言う。
フォーブス ウクライナでは、戦争開始から12カ月間にわたるゼレンスキーのリーダーシップの本質を探るべく、大統領府職員、軍人、外交官、国会議員、閣僚、政治学者、歴史家、そして大統領や軍最高司令部関係者たちと多くの時間を共にしてきたジャーナリストたちに話を聞いた。
命知らずのリーダー
「勇気」は、フォーブスが取材したインタビュイーがゼレンスキー大統領を表現する場合に最も多く挙げられた特徴だった。「I need ammo, not a ride(必要なのは乗り物ではなく弾丸だ)」キーウからの避難に協力するというジョー・バイデン米大統領の申し出に対してゼレンスキーが返したこの言葉は、 ウクライナの勇気の象徴となったといってよい。
マンチェスター大学政治学教授オルガ・オヌフは2022年、『The Zelensky Effect』(未邦訳:『ゼレンスキー効果』)を上梓した。
オヌフは「彼が(キーウに)留まったという事実は、信じられないほど重要だった」と述べる。ウクライナ軍、市長、役人たちを鼓舞し、模範を示し得たからだ。また、ウクライナが現在深刻な戦時下にあり、西側諸国の協力の有無にかかわらず今後も戦い続ける、そのことを世界に示す強力なシグナルにもなった。「大統領の勇気には実利的な効果がある。ゼレンスキーと会話すると人々の心は動かされる。」大統領に近い議員、デービッド・アラカミアも言う。
もしゼレンスキーがバイデンの申し出を受け入れていたら歴史はどうなっていたか。それは誰にもわからない。大統領派閥 "Servants of the People"のリーダーの1人は匿名を条件に、「戦争が始まって間もない頃、役人の半数以上がキーウから逃げ出した。ゼレンスキー大統領も逃げ出していたらどうなっていたか、想像してみてほしい」と話した。
大統領府のアンドリー・イェルマク室長によれば、「ゼレンスキーは自分を英雄とは思っていないし、何かすごいことをしたとも思っていない。彼にとって、これはまったく普通の決断だ」という。
歴史的には、政治家たちはゼレンスキーの取ったような決断をしていない。ゼレンスキーをテーマにした著書『The Fight is here』(未邦訳:『戦いはここにある』)を上梓したTIME誌のジャーナリスト、サイモン・シャスターは、戦争中の国家指導者の行動を研究し、リーダーたちが取ってきた典型的決断は「安全な場所に避難すること」だったと分析している。「何十年も政治に携わってきた人たちが、新しい軍事的現実を受け入れるのは難しい」とシャスターは言う。国家指導者たちは「安全な場所から政治的な解決を模索するべきだ」と自分に言い聞かせる傾向があるというのだ。