「ゼレンスキーは優れた俳優である」
やはり匿名を条件に弊誌の取材に応じたある閣僚は次のように話す。
「第一に、ゼレンスキーは優れた俳優だ。第二に、平時においてもすでに彼は複数の役割を果たしていた。今日は映画に出演し、明日はコメディアンのグループ『クヴァルタル95』のリーダーとして活動し、明後日はウクライナ実業界で有名なイーホル・ヴァレリヨヴィチ・コロモイスキーと会議で交渉する実業家だった。」
キャリアをスタートさせた当初、ゼレンスキーはお笑いの登竜門的なロシアのコメディ番組「ケヴェン(KVN)」のオーナー、アレクサンダー・マスリヤコフに公然と対抗したという。
2003年、ゼレンスキーは「マスリヤコフの検閲」を通らないジョークをカットすることに、断固として反対した。「クヴァルタル95」の共同設立者ボリス・シェフィールは、フォーブス ウクライナに2012年、マスリヤコフとの意見の相違から、最終的にゼレンスキーは番組を降りたと語っている。
2022年、ゼレンスキーはキャリアではなく「命」の危険にさらされた。情報局主席局長のキリロ・ブダノフは「暗殺未遂事件があった。暗殺の意図と計画を明確に特定できたケースについてだけでも5件はある(実際はもっと多い)」と話す。
「戦争2日目の夜、ゼレンスキーが掩体壕から通りに出たとき、警備員は非常に神経質になっていた。DRG(破壊工作・偵察グループ)がすでに近くのビルにいる可能性もあった。」前述のTIME誌、シュスターは言う。「しかしゼレンスキーは、自分がキーウにいることをウクライナ人に知らせなければならないと主張した。」また、解放されたばかりの南ウクライナ、ヘルソンがウクライナの街であることを示すため、ヘルソンへの旅も実行したのだ。
戦争が始まって3週間目、ゼレンスキーとイェルマク、そして数人の護衛はキーウ郊外に向かった。「ゼレンスキーたちはウクライナの検問所を通り過ぎ、ロシア軍の陣地すれすれまで接近した」とシャスターは言う。
「なぜそんな危険を冒すのか?」と尋ねると、ゼレンスキーは「キーウの守備隊と話をし、スクリーンに映らない戦争を見なければならないからだ」と答えたという。
また、キーウの独立広場でのイベント時、ウクライナ軍はロシアの無人機を探知したことがあった。敵の大砲の射程圏内にいたにもかかわらず、ゼレンスキーはイベントを中止しないようにと命じたという。
全スピーチの約4分の1が外国人向け、2億人の視聴者を前に演説も
2023年2月13日の夜、ゼレンスキーは何百万人ものアメリカンフットボールファンを前に講演を行った。ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の最終戦、いわゆるスーパーボウルと呼ばれる日は、アメリカの祝日といってもいい。さらにこれは、世界からおよそ2億人もの視聴者が見るゲームだ。放送中に流れる広告の価格は、2023年度は30秒で600万~700万ドルにまで高騰した。世界で一番高い広告料がかかる時間帯といってよいのである。
ゼレンスキーはこの日、無償で講演した。ウクライナの映画プロデューサー、アンドリー・イェルマークからこの計画を聞いた駐米ウクライナ大使オクサナ・マルカロワは、「NFLの上級副社長であるブランドン・プラックに連絡を取り、ゼレンスキーの出演について相談した」という。
この国際的な演説は、ロシアからの侵攻の2月24日以降に行われた百数十回の演説と同様に、西側諸国におけるウクライナへの高い支持を確保することを目的として行われた。ゼレンスキーの周辺人物の1人は、匿名を条件に次のように話した。「民主主義国家の指導者は有権者が要求する限り我々に武器を与え続けてくれる。よって、優先順位を上げるべきコミュニケーションの1つだと判断したのだ」。
ゼレンスキーのスピーチについてはすでに何十本もの記事が書かれている。TIME誌のシャスターは、「ゼレンスキーのスピーチについては今後、長い間にわたって研究され続けることになるだろう。彼のスピーチは、演説が有効な外交的手段であることを改めて証明した」と言う。
フォーブス ウクライナの調べでは、侵略開始から2023年2月14日まで、ゼレンスキーは563回、公の場で演説を行った。総時間は32時間以上、全スピーチの約4分の1が外国人向けのものである。平均して1日に1.6回演説を行っているという。政治学者のオヌフは、「ゼレンスキーの演説にはきわめてユニークな特徴がある」と語る。「大統領は、ウクライナ人、英国議会、日本人の学生、全く異なる聴衆に対して同じようにうまくアプローチをしている」。