経営史に残る名場面、「インテル」の意思決定とは

インテル元会長兼CEOの故アンドリュー・グローブ氏。写真右はマイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ氏(Photo by Tim Mosenfelder/Getty Images)

どういうことか。まずこの文章を読んでみよう。故クレイトン・クリステンセン教授(ハーバード・ビジネス・スクール)の名著『イノベーションのジレンマ』(伊豆原弓 翻訳、玉田俊平太 監修、翔泳社)からの引用だ。

“インテルの生産能力配分システムは、製品ごとの粗利益率に応じて能力を配分する方式にしたがって機能していた。そのため、いつのまにか、設備投資や生産能力は、DRAM事業よりマイクロプロセッサー事業に向けられるようになったが、経営陣が明確にそのような経営判断をくだしたわけではない。

実際、インテルの資源配分プロセスによって、DRAM事業からの撤退が徐々に始まっているなかでも、経営陣は、注意とエネルギーの大部分をDRAMにそそぎつづけた。”


やや専門的な言葉が並んでいるが、そこは飛ばして「経営陣が明確にそのような経営判断をくだしたわけではない」という文言に注目してほしい。先ほどのグローブの回想と明らかに矛盾を感じるのではないだろうか。

そこで、もう一度クリステンセンの一文を丁寧に読んでみると、想像できることがある。

現場では、経営陣の意図に反して、自動的にDRAMという当時の本業からの撤退を進めていたということ。そして、経営陣が現場判断に遅れて、やむなく追認したのではないか、ということだ。

え、グローブやムーアが意思決定をしたのではないの?
実は彼らは現場に引っ張られただけだった?
だとしたら、あの大観覧車での会話は何...?

そんな問いすら浮かんでくる。

この意思決定過程について、より詳しいリサーチをしている書籍がある。スタンフォード大学のロバート・A・バーゲルマンが書いた『インテルの戦略』(石橋善一郎/宇田理 監訳、ダイヤモンド社)。そのものズバリのタイトルのこの本を読むと、この意思決定のリアリティを理解することができる。要約するとこういうことだ。

【ルール】
インテルには、全社の製造能力が足りなくなった場合は、利益率(ウエハ1枚あたりのマージン)が高い製品を優先すること、というルールがあった。

【現場判断】
そのルールに基づいた現場判断の結果、インテルの祖業であるDRAMは利益率が低かったために社内のリソース獲得競争に負け続ける。この現場判断の蓄積により、より高い利益率を持つマイクロプロセッサーに製造能力がシフトしていった。

【競争結果】
その結果、DRAMへの設備投資額は徐々に減少し、DRAM市場におけるインテルの競争力は落ちていった。

【膠着状態】
経営陣(特にCEOゴードン・ムーア)はインテルの歴史を作ってきたDRAMに対して強い愛着を抱いていたこと、技術者の流出の可能性などから、競争力が低下していたDRAMに対してなかなか撤退を決断できないでいた。

【最終判断】
しかし、COOのグローブは1985年夏、この状態をもはや放置できないと判断し、CEOのゴードン・ムーアを説得し、DRAMからの撤退の宣言をした。

つまり、クリステンセンが「経営陣が明確に経営判断をくだしたわけではない」と言ったのは、【現場判断】におけるリソース配分のことであり、グローブが後に語ったストーリーは【最終判断】における撤退宣言の話をしている。

ゴードン・ムーアはこの一連の出来事を振り返り、「一連の小さな意思決定の連続であり、(それが)最後に劇的な結末を迎えたのだ」と述べているが、まさにその通りだ。

「DRAM撤退の意思決定」は、現場の無数の意思決定の結果であり、役員会議室における一度だけの大きな意思決定によってなされたわけではないのだ。
インテル元会長兼CEOの故ゴードン・ムーア氏(Photo by Justin Sullivan/Getty Images)

インテル元会長兼CEOの故ゴードン・ムーア氏(Photo by Justin Sullivan/Getty Images)

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文・イラスト=荒木博行 編集=宇藤智子

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