ちなみに、同書『インテルの戦略』には、撤退の意思決定から3年後の1988年後半に、グローブ自身が「成功した意思決定」として社内でプレゼンテーションをし始めたという回想が記されている。
おそらくこの時点で新規事業のマイクロプロセッサーは軌道に乗り、グローブもこの撤退の意思決定を前向きに振り返ることができる心境になったのだろう。つまりグローブは、3年経ってようやくDRAM撤退の意思決定を正当化するストーリーに仕上げることに成功したのだ。マイクロプロセッサー事業で大成功したからこそ、大観覧車前の場面を切り出したわけであり、もし失敗していたら後日談として語ることはなかったはずだ。
こうしたプロセスを経て、後付けで意思決定のストーリーができあがっていく、ということを理解するとますます、「大きな意思決定」とは幻想であることを認識させられる。
さて、そろそろまとめよう。
前回のコラムで、意思決定場面を4つのパターンに類型し、そして「ドラマ型の意思決定」だけでなく、「日常型の意思決定」に注目せよ、ということをお伝えした。このインテルの事例をベースに、もう一度このパターンを見返してほしい。
つまり、DRAM事業からの撤退は、アンドリュー・グローブという名経営者による「ドラマ型意思決定」のように思えるが、実はその対極にある「日常型の意思決定」が大きな影響を与えていた、ということなのだ。
もちろん、1985年の夏の段階で、DRAMを手放すという意思決定をしたグローブの判断の価値が高いのは言うまでもない。祖業を手放し、当時まだどうなるかもわからないマイクロプロセッサーに経営資源をシフトするという意思決定は、並大抵のことではなかったはずだ。ただしそれは、前段にある細かな意思決定のお膳立てがあってこそのことなのだ。