「人工呼吸器が必要になったら装着しない」
押富さんは林さんの生前のツイッターをしばしば目にしていた。「人工呼吸器が必要になったら装着しない」と尊厳死(延命を望まず自然死を迎えること)を望む一方で、日本では違法な安楽死(人為的に命を縮める手段)を模索していることを知っていた。人工呼吸器を装着するかどうかは、神経難病の患者にとって究極の選択。闘病の過酷なALSの場合、患者の7割が自然死を選ぶと言われている。
「人工呼吸器の生活も悪くない」と感じている押富さんも、その価値観を押し付けるつもりはなかったが、他人を巻き込んで死の計画を実行したのは、論外だと思ったという。
在宅支援は「充実していた」とされたが
「彼女に必要だったのは、安楽死や嘱託殺人ではなく、自分の気持ちを理解してくれる支援者と緩和医療だったと思う」と、押富さんは講演で述べた。私たちが気づきにくい視点だ。
それまでの報道では、林さんの在宅支援は「充実していた」とされていた。7つの訪問事業所が入り、30人にのぼるホームヘルパーや訪問看護師がかかわっていたが、押富さんは「本当にしんどい思いをして生活していたんだな」と感じたという。
「私は、事業所が変わるたびに、新しく人間関係を構築するのがとてもしんどいと思うし、相性もあるから、合わない人はさらにつらい。それでいて、交代を希望しても人手不足で無理だし、嫌でも手伝ってもらわなきゃ暮らせない」
人数が多いほど関係づくりは大変なのに、一人ひとりとの関係は希薄になっていく。相談しやすいスタッフに話を聞いてもらえる時間が少なくなってしまうという。
支援の量が増えても、質が高まるわけではない、という指摘はとても新鮮だった。
林さんは全身の筋力低下が進み、パソコン操作も目の動きでカーソルを動かす「視線入力」のアプリが頼りだった。もともと東京の設計会社で意欲的に働いていたキャリア女性だっただけに、落差は大きかったのだろう。人工呼吸器の助けも借りつつ、話す力、手の指を動かす力、食べる力を取り戻していった押富さんとは違う孤独感、絶望感を抱いていたと思う。