新年を迎え、Auld Lang Syneの原曲を捧げたい。
コロナ禍以降の世界情勢はますます混迷し、複雑化、暴力化している。地球全体が液状化現象を起こしている観がある。経済・金融危機問題の専門家で、サブプライム危機を予見していたことで著名なヌリエル・ルービニ博士は、人類が直面する大きなリスクを、債務問題、人口問題、スタグフレーション、通貨危機、気候変動、米中摩擦等々の10分野で詳述し、我々がまさに有史以来の脅威に直面していることに強い警戒感を示している。
どれひとつを取っても難問で、すべてに対応しなければならない課題ばかりだが、年頭にあたり日本がAuld Lang Syneの含意を生かして繁栄していくために、2つだけポイントを指摘しておきたい。
まず技術力の向上であり技術大国としての復権だ。
私の実家に古びた仕掛け時計がある。1980年に父が気に入って求めた日本製だ。その後父が亡くなった時、すでに四半世紀を経過していたこともあり、動力源の単1電池2個を抜き取り、針を止めた状態でぶら下げておいた。以来、動かないまま20年近くが経過した。
昨年暮れに廃棄しようと思ったが、遊び心で電池を挿入して驚いた。2本の針は、何事もなかったかのように時を刻み始め、時報とともにオルゴールが鳴り、小窓から人形が現れワルツを踊り出す。
40年以上、修理も手入れもせず、その内20年近くは動かしていないのに、あたかも生き物のように活動を始めたのである。クォーツは正確、音色も動作もよどみない。仰々しい先端技術ではなく何げに生活に溶け込む日常品だが、この堅牢性と正確性はどうだ。40年前、日本はこうした高い技術をさりげなく生活に取り入れていた。あのころから、日本はハイテクの国と呼ばれるようになった。
昨今、日本の技術力や基礎研究の停滞が心配され、官民挙げてその復権に注力している。その際、欧米の強さや中国、韓国の戦略を参考にすることは重要だが、それ以上にかつての日本がどのようにして技術立国になりえたかを、いま一度探求しておくことがより有益だと思う。