「地球から最も遠く離れた人工物」
本来対極に位置付けてもおかしくないような概念を調和させようという試みは、死生観だけに留まらない。主人公の一人である男は仕事を辞めて日本各地を放浪し、自然音の録音に奔走する。一見してスピリチュアリズムに則った、自然に偏っているように思える行動だが、実際のところ、録音とは科学技術の産物だ。ここでは自然と科学の調和が試みられていると読み取ることができる。北海道から沖縄まで、自然を訪ね歩く彼の想いが、地球から最も遠く離れた人工物であるボイジャーへと滑らかに接続することも、一つの調和の結果と言えるだろう。
主人公たちの関係性にも同じ側面が観られる。作中で二人は単純な恋愛関係以上の調和、相互理解を目指そうともがき続ける。彼らの独特な感性もまた作者の強い思索の表れであり、本作の魅力である。
作者の主張がはっきりしている小説には、往々にして押しつけがましさがつきまとう。共感できない読者が白けてしまう場合も少なくない。しかし本作は二つの要素によって高圧さを払拭している。
奇妙なほど瞬間的な「ゆらぎ」が──
まず挙げられるのは冷静沈着で静謐な筆致だ。本作は440ページを超える大著だが、全編にわたって穏やかな、それでいて隙の無い濃密な描写が繰り広げられる。その中で作者のメッセージが、刺さるのではなくゆっくりと染み渡ってくる。先述した、大自然の中で録音する場面は本作で繰り返し描かれている。おそらく最も象徴的なシーンであるにもかかわらず、その筆運びはどこまでも自然体で、作為がない。読み手がゆっくりと情景を想起するに十分な余白が存在している。
もう一つは終盤の展開である。詳細な記述は避けるが物語の最終盤、400ページを超えたあたりである出来事が起こり、それをきっかけに二人の主人公が初めて直接衝突する。それとともに、それまで穏やかだった物語が、一瞬だけ激しく揺れ動く。
この揺らぎはすぐに収束する。一読して奇妙なほど瞬間的で、それまでの流れから逸脱しているようにも見えるが、一方で作者の力強い意志を感じる箇所でもある。おそらく作者は安易な解答に落ち着くことを拒否したのではないだろうか。
彼が本作で立ち向かったテーマは死生観や人間関係、自然と科学といった、不変の真理とも言える遠大なものばかりである。これらの問題は人間が営みを続けていく限り決して解決されるものではない。真摯に、純朴に向き合うほど、解答に窮するのは当然と言えるだろう。