「僕は明治時代をベンチマークしているんです。好きな偉人の1人が『京浜工業地帯の父』と称される浅野総一郎。彼は、安田銀行(後の富士銀行、現みずほフィナンシャルグループ)の創業者である安田善次郎の協力を得ながら、現在の川崎コンビナートをつくった。それもゼロから。そういう、国を創っていく明治という時代を生きた人たちが好きで、彼らのマインドが僕の基礎になっているんです」
もう一度、ソニーやホンダのような世界的企業をつくりたいと願う徳重。そして、石油経済から脱却し、新たな産業とともに国を生まれ変わらせようとしているサウジアラムコ。チャレンジングな精神を持つ両者の間で、共感が生まれたのだという。
このようにして第一ステップのプレゼンをクリアしたが、「その後に行われたDDもシビアだった」と徳重は言う。
思いで共感しただけでは、もちろん選ばれることはない。膨大な事業計画書を作成しては、Wa‘ed側からの指摘に回答するという質疑応答が、約4カ月間繰り返された。
ドローンの知識や知見、財務状況、海外実績についての調査が長く続いた。長い時間をかけることで「やりきる力」を試された側面もあるのだろう。
「僕は複数回にわたりサウジアラビアを訪れて担当者にアプローチしました。経営者自らが、1年半という期間コミットする姿勢も評価されたのでは」と徳重は振り返る。
「日本基準のPMFでは見誤る」
2016年に創業し、オランダやベルギー、インドネシアで事業を展開してきたテラドローン。徳重は海外展開の難しさを次のように語る。「何よりもPMF(プロダクト・マーケット・フィット=プロダクトがユーザーのニーズを捉え最適な市場で提供される状態)が難しい。よく言われる市場規模は、あまりあてにはなりません。
ドローン点検に関して言えば、日本でやっていることを持ち込んでも、現地ではハシゴを使って点検をしたりしていて、効率化しようという考え自体がない場合もある。マインドセットを変えるところからスタートしなければいけないことも多々あります。
また、特に新興国では、社員にしても顧客にしてもウソをつくことがあり、何が本音か見極めなければいけない。日本基準でPMFを考えると、間違いなく見誤ります」
テラドローンでは海外企業のM&Aも行ってきたが、出資前に現地で社員を1カ月間派遣して、上層部の仲違いがないかなどまで調べるという。一見、次々に海外へ進出する攻めのスタートアップという印象を受けるが、攻守のバランスもきちんと備えている。
ここ最近、日本ではアフターコロナを見据えたスタートアップの海外展開も増えている。数々の困難を乗り越えてきたテラドローンのエピソードは、その好例として参考となるのではないだろうか。