キャリア・教育

2023.01.18 18:30

「我欲を捨てよ」の危うさ


実は、古来、様々な宗教的技法において、この「エゴ」に処する方法は、ただ一つとされている。ただ、静かに見つめること。

それが、唯一の方法である。

例えば、自身の心の中に、誰かに対する「嫉妬心」が動き出したとき、「ああ、自分の心の中で、あの人に対する嫉妬心が動いている」と、ただ、静かに見つめることである。すなわち、「こんな嫉妬心を持ってはならぬ」と否定するのでもなく、「この嫉妬心こそが自分のバネになる」と肯定するのでもなく、ただ静かに、「ああ、自分の心の中で、嫉妬心が動いている」と見つめることである。

言葉にすれば、それだけのことであるが、実は、これを行ずることは容易ではない。しかし、もし、それができたならば、不思議なほど、自分の心の中の「小さなエゴ」の動きは、静まっていく。

実は、こうした「我欲」や「小さなエゴ」に処する成熟した「心の技法」は、古くから、仏教を始めとする古典において、「内観法」など、様々な形で語られているのだが、近年の表層的な古典解釈においては、「我欲を捨てよ」といった単純なメッセージが、「高潔な人物」を演じたがる「小さなエゴ」の蠢きとともに、広がる傾向がある。

かつて、浄土真宗の開祖・親鸞が、あれほど多くの信徒が周りに集まった晩年においても、「心は蛇蝎のごとくなり」という言葉を語っている。

この言葉は、どれほど修行をしても、心の中の「我欲」や「エゴ」は、容易に消えていかないことを述べたものであり、そのことを覚悟するからこそ、エゴの自己幻想に陥らないですむことの機微を語った言葉である。

すなわち、この親鸞の言葉は、宗教に触れ、人間成長の修行に取り組む者が陥りがちな、「自分は、我欲を捨てた人間だ」といった自己幻想への警句であり、「小さなエゴ」の巧妙で狡猾な動きへの警鐘に他ならない。


田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院名誉教授。シンクタンク・ソフィアバンク代表。世界経済フォーラム(ダボス会議)Global AgendaCouncil元メンバー。全国7700名の経営者やリーダーが集う田坂塾・塾長。著書は『死は存在しない』など100冊余。

文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.102 2023年2月号(2022/12/23発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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