「我欲を捨てよ」の危うさ

田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

人間力について書かれた書籍を読むと、しばしば、「我欲を捨てよ」といった言葉が書かれている。そのため、我々は、その言葉を素朴に受け止め、自分の心の中の「我欲」、すなわち「小さなエゴ」を、「持ってはならない」と否定し、捨て去ろうとしてしまう。

しかし、我々の心の中の「我欲」や「エゴ」は、それほど簡単に、捨てられるものではない。

それは、どれほど「捨て去った」と思っても、ただ抑圧し、心の表面に出ないようにしているだけであり、それゆえ、その「我欲」や「小さなエゴ」は、いずれ、心の奥深くで、密やかに動き出す。

例えば、同僚が先に昇進したとき、表面意識では、「自分は、同僚の昇進を妬むこととなどない」と思うが、数か月後、その同僚が病気で休職になったとき、心の奥に、それを密かに喜ぶ自分が現れる。それが、「小さなエゴ」の厄介な姿である。

いや、それだけではない。この「我欲」や「小さなエゴ」は、しばしば、極めて巧妙な形で、我々の心を支配する。

例えば、「我欲を捨てよ」という言葉を読むと、我々は、自分も、そうした「我欲」に振り回されない人間になりたいと考える。しかし、自分の心の中で、「我欲を捨てなければ」と考えているうちは良いが、内省力の乏しい人間が、この言葉を周りに対して語り始めると、危うい状態が始まる。

なぜなら、周りに対して、「我欲を捨てるべし」と語り始めると、いつのまにか、心の中に「私は、我欲を捨てた人間だ」との自己幻想が生まれてくるからである。そして、この自己幻想の背後には、必ず、「小さなエゴ」が忍び寄っている。

すなわち、周りに対して「我欲を捨てるべし」と語ることによって、周りから「あの人は、我欲を捨てた人間だ」と思われたい、自分を立派な人間だと思われたいという「小さなエゴ」が、密やかに忍び込んでくるのである。そして、多くの場合、「我欲を捨てよ」と語っている人間自身は、自分の心の中で蠢く、その「小さなエゴ」に気がついていない。

我々の心の中の「小さなエゴ」は、ときに、「小さなエゴを捨てた高潔な人間の姿」を演じ、満足を得ようとすることさえある。

では、どうすれば良いのか。「我欲」や「小さなエゴ」というものが、捨てようとしても、一時、心の奥深くに隠れるだけであり、しばしば、巧妙な擬態を示し、我々を自己幻想に陥らせる厄介なものであるならば、どうすればよいのか。
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.102 2023年2月号(2022/12/23発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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