「私の知る限り、この4つの証明基準を満たした研究は未だに存在せず、したがって私はこれらを根拠に、依存的性格というものは存在しないと主張します」とグリフィスは説明した。
これは、性格が常習行動とまったく関係ないという意味ではない。グリフィスは、常習行動が高レベルの神経症的傾向および低レベルの誠実度と全体的相関があることを示す研究をいくつか引用している。しかしグリフィスは、単独で依存的性格の原因となるような特性(あるいは複数の特性の組み合わせ)はないと説明している。
そうではなく、依存を生物社会心理的視点から見ることをグリフィスは好む。このアプローチでは、常習行動を分析する際、個性(すなわち遺伝的特徴)、状況的要因(薬物、広告あるいはマーケティングとの接触しやすさ)、および構造的要因(薬物の毒性)を考慮に入れる。
論文によると、依存的性格の神話を捨てることの恩恵には2つの側面がある。
1. 依存にまつわる汚名を晴らす。この神話を捨てることで、依存症の人が本質的に誤りを犯しやすい、他の人よりも弱い人間であるという見方をされなくなる。
2. 依存症の人の責任感を強くする。依存的性格の人を見た時、私たちはその人が常習行動をするようになったことの責任を免除し、周囲の人々に治療する責任を負わせることができる。究極的には、依存症の人は、依存の形成にいたった自分の立場を認め、したがってリハビリテーション支援を受ける自分の責任を認めなければならないとグリフィスはいう。
「医師はある種の性格特性を依存の兆候であると考えますが、それだけのことです」とグリフィスは強調する。「個人が中毒症状になることを保証する性格特性など存在せず、それだけで依存症を予測できるような性格特性の証拠もほとんどありません。つまり、依存的性格はまったくの神話なのです」
(forbes.com 原文)