担任ガチャで学校変えたっていい? 「ひとりっ子のやる気ツボ」

『ひとりっ子の学力の伸ばし方』(富永雄輔著、2022年8月、ダイヤモンド社刊)


「上司ガチャ」「配属ガチャ」? なら「担任ガチャ」で学校変えていい


子どもは大人社会の縮図です。「子どもだからこの能力が必要」「子どもだから今は必要ない」というものはありません。今の大人が求めているものが、同じように子どもも必要なだけ。なのについ、「子どもだから」という軸で考えてしまいがちです。

大人って身勝手で、自分たちは「やりたくない仕事はやらなくていい。どんどん転職しましょう」と言っているのに、子どもには「継続は力なり」で、嫌なことでも頑張って、とにかくやり続けることを求めがちです。学校が嫌で転校すると、さも悪いことのように思われてしまうのです。

「上司ガチャ」とか「配属ガチャ」という言葉が流れる世の中なら、本当は「担任ガチャ」で学校を変えたっていいんですよね。今の若い世代のなかに「辛抱はよくない」という風潮があるのだから、その下の子どもたちにとっても「辛抱は必ずしも美徳ではない」ということを大人が知る必要がある気がします。

同じように、大人は毎日会社に通わず、家にいながらオンラインで物事を解決できる時代に。なのに、学校だけは「毎日通うべき」「行くこと自体に価値がある」という考え方のままです。時代は昭和から平成、令和と変わり、社会も大きく変化しているのに子どものことだけは昔のままなんですよね。

本当ならば、さまざまな働き方がある今、学校に行くことに価値を持たない人が出てきたっていいはずです。私の塾にも不登校の子はたくさんいますが、何ひとつ恐れないでいいのではないでしょうか。そう考えると、皆勤賞ほど無意味なものはないように思います。

自分の子ども時代になかった「YouTube」「ゲーム」を否定するな


ひとりっ子で一番よくないのは、「タテに教育する」こと。親自身が受けてきた教育が絶対に正しいと思い込み、それを垂直、つまり子どもにそのままやらせようとすることです。でも、親が受けた教育は30年以上も前のもの。かなり古いです。職場で、自分の上司に「俺の若い頃はこうやっていた」と方法を押しつけられたら嫌ですよね。それを自分の子どもにやっているようなものです。

「ゲームやYouTubeはよくないから、本でも読みなさい」と、自分の子ども時代になかったものを頭から否定するのもそのひとつ。私たちが小さい頃、「もっと古典文学を読みなさい。三島由紀夫や夏目漱石を読まないと」と言われたとしてもたぶん読んでいないと思うんですよね。それと同じです。

先日、ある生徒にこんなことを言われました。「勉強ができるようになるYouTubeだってあるんだから、YouTubeすべてを否定できないと思うよ。ゲームだって立体センスを養えるものもあるし。自分はそれで算数ができるようになったんだからいいんじゃね?」一理あります。YouTubeもゲームも使い方次第です。

たとえば、苦手な勉強の分野があったら、ドリルではなくYouTubeを利用したっていいんですよね。時代が変わるなかで受け入れなければいけないことは絶対にあって、特にひとりっ子の親御さんはそのあたりを柔軟に考えてあげる必要がある気がします。
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文=柴田恵理 編集=石井節子

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