ビジネス

2022.11.28

マーケティング業界の黒船「Braze」がコロナ禍の日本に上陸した理由

Brazeの共同創業者でCEOのビル・マグヌソン

10月初旬、コロナ禍からの回復が進むニューヨークの会場には、世界から数百名のマーケティング関係者がつめかけた。長い髪に細身のスーツに身を包んでステージに立ったビル・マグヌソンは、上場企業のCEOというよりはむしろ、ロックスターのように見えた。

「ギターは弾かないのか?」と控室に戻った彼に聞くと「僕自身は楽器はプレイしないけど、ジョンはドラムを叩く」と、隣に居た共同創業者でCTOのジョン・ハイマンのほうを見て微笑んだ。

二人が2011年に創業したスタートアップ「Braze(ブレイズ)」は、フォーブスが有望なクラウド企業を選出する「クラウド100」に4年連続で選出され、昨年11月に米ナスダック市場に上場。バーガーキングやIBM、ペイパルといった世界的ブランドの顧客とのコミュニケーションをリアルタイムのデータで支援している。

「どんな厳しい時代でも、正確なデータに基づいたビジネスモデルと正しい戦略があれば事業を拡大できる」と、自信に満ちて話すマグヌソンは、1987年生まれの35歳。起業家としての原点は今から14年前、2008年の金融危機の夏にさかのぼる。当時21歳だった彼は、名門マサチューセッツ工科大学(MIT)に在学中で、世界最大のヘッジファンド「ブリッジウォーター・アソシエイツ」でインターンを務めていた。

「政府や中央銀行が、どうやって危機に対処するかを最前線で見ていた。彼らがやっていることの根本には膨大なデータを駆使した緻密な計算があることを知った。ジョンもその前の年にブリッジウォーターでインターンをやっていたし、CFOのイザベル(ウィンクルス)もその頃モルガン・スタンレーで働いていた」

そのような経験が、危機の時代にあっても冷静に事態を分析し、成長に向けたアクセルを踏み続けることにつながったとマグヌソンは話す。ミネソタ州の広大な農場で育った彼は、わずか5歳で父親のコンピュータに触れ、幼少期から数学の神童と呼ばれ、MITの卒業前にはグーグルでのインターンも経験した。

10万ドルの学生ローンの返済


「ヘッジファンドを選んだのは、学生時代から世界の金融システムの複雑さとダイナミズムに魅了されていたから。そこに集まる野心あふれる人たちと働いてみたいと思っていた。いつかは自分で起業したいと考えていたけれど、10万ドル近い学生ローンの借金を抱えていて、それを早く返したい思いもあった」

起業に向けての転機は、意外に早く訪れた。入社2年目の春に職場の1年先輩だったハイマンとTechCrunchが主催したハッカソンに参加して優勝。インタビュー動画が公開されると、二人を支援したいと申し出る投資家からの問い合わせが相次いだ。

「当時は、モバイルを中心としたエコシステムの整備が始まった頃で、事業を立ち上げるなら今だと思った。ジョンも僕もブリッジウォーターが拠点を置くコネチカット州に住んでいたけど、その年の夏にニューヨークに移って会社を立ち上げた。シリコンバレーではなくニューヨークを選んだのは、単純にこの街が大好きだったから。大学時代をボストンで過ごした僕や、ハーバードに通ったハイマンは西海岸よりも東海岸のほうが馴染みがあった。悲惨な天候のミネソタで育ったから、ニューヨークの厳しい冬にも耐えられると思った」
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取材・文=上田裕資

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