黒豚といえば鹿児島が有名だが、実は奄美大島の黒豚こそがその源流であることを知る人は少ない。しかし品種名をつけずに島から本土へ、そして全国へと広まってしまううち、奄美大島の黒豚は、生産効率を求めていつしか改良種にとって変わってしまったのだという。
原種がえりが難しいとされるなか、雅亮さんは、以前のような完全な原種に戻るのは無理でも、昔ながらの飼料や飼育方法にこだわりながら「これからの奄美オリジナルの島豚」を生み出したい、その一心で、放牧に最適な山を探して土地を借り、独自に黒豚の放牧を始めたのだった。
その山に連れて行ってもらうと、雅亮さんが車から降りただけで、タタタターッと豚たちが駆け寄ってきた。耳の垂れた黒豚たちは、かわいくて元気なことこのうえない。
雅亮さんは、豚たちに与える飼料にも徹底してこだわっている。島の豆腐からとれたオカラやサトウキビの搾りかす、奄美大島の塩をつくる際に出るにがりなど、地域振興活動をともにする仲間の生産者たちが持ち寄ってくれた、すべて調味料不使用、かつ完全無農薬の廃棄食糧。これらを丁寧に発酵させて餌にしている。
昨年は島の養豚場から年老いた種豚を譲ってもらってきたところ、3頭のうちの1頭に種を付け、いきなり5頭が誕生。さらに、本来なら赤ちゃん豚は落ち着くまで保護して人工的に育てるほうが無難なところを、あくまでも自然放牧に賭けたところ、母豚のおっぱいだけで順調に育ち、その後は、なんと子豚たちのほうから、島の恵み100パーセントの発酵ごはんを食べに集まってきたという。
実は、この2代目の子豚たちも私は見届けることができた。元さん一家と島の「あにい」「あねえ」たちの「今度はぜひお子さんたち連れていらっしゃい」というお言葉に甘え、昨年の夏に家族で再訪させていただいたのだ。
小学生の次男は、「あにい」たちについて回ってどこまでも広く澄んだ海で体当たりで漁や釣りをして、大学生の長男は薩摩藩統治下時代の旧跡や太平洋戦争の遺構をめぐり、奄美が背負ってきた歴史を肌で知った。
行く先々の集落で、歴史の波に翻弄されながらも誇り高く伝統を紡ぎ、自然との営みを守り抜いてきた島の人たちの生き様に触れながら、「世界自然遺産」である前に、「人」こそが、奄美大島の世界遺産であることを、家族それぞれに心に刻むことができた。
そんな島人の誇りや情熱と、大自然の恩恵を一心に受けながら、深い緑の山を、谷を、のびのびとかけまわる元家の黒豚は、まぎれもなく正真正銘の「島豚」になっていくことだろう。それこそが、世界に2つとないブランド食材なのだ。
今年に入り、5頭のうちの1頭が子供を産み、ついに3世代目が誕生したという。
島内で初めてとなる、専用の食肉加工施設の計画も着々と進んでいる。そこでつくられることになるであろう塩豚は、イタリアの小さな村、パルマが世界に誇る生ハムに負けずとも劣らぬ、日本の南の島が世界に誇る「奄美島豚の塩豚」となるにちがいない。
どんな地域にも必ず存在する伝統食材は、観光スポットのように一度訪れると目的が終了してしまうものとも、イベントのような一過性の打ち上げ花火とも大きく異なり、その土地から永遠に生み出される持続可能な「宝石」の原石のようなものだ。磨き上げさえすれば必ずや「地域の宝石」になる。
そのとき、食材のポテンシャルを引き出し活かしきることにこだわるイタリアのマンマ式の直球料理法は大きなヒントになると私は考えている。地域の風土と、人々の生き様によって育まれてきた伝統食材に敬意を表しながら、地域食材という原石を、きらきら光るキラーコンテンツへ押し上げるお手伝いを、これからも続けていきたいと思う。