ブログでも、気管切開している呼吸器ユーザーに対し「低圧で持続吸引して口パクで話してみてください。もしかしたら、小さな声が聞こえるかもしれません。口の中で気流ができているような気がするんですが」と呼び掛けているが、残念ながら成功例の報告はなかった。
私がメールで質問したときも「日常生活の中で話そうとしているうちに、コツをつかんで話せるようになりました。懸命なリハビリというより、気楽で気長に続けることで今に至ります。いろいろな方法で呼吸器を着けていても話す方はいますが、私みたいな方法で話す人はまだ会ったことがないですし、医師も不思議がっていますよ。たぶんすごく稀です」(2019年9月23日のメール)という返事で、具体的な方法は説明しにくい様子だった。
「舌はないけど」著者と同じ、工夫の力
この「すごく稀です」という言葉を聞いてすぐに思い浮かべたのは、がん患者の荒井里奈さん(岐阜県下呂市出身)。
当時、中日新聞の医療面で「舌はないけど」という連載を執筆してもらっていて、医療担当の編集委員だった私が担当者だった。ことし1月に亡くなる直前まで3年半に及んだ連載で、本にもなった。
腺様嚢胞がん(ACC)という希少がんが舌下腺に見つかり、15年に舌を全摘した。その後も肺などに転移したがんの治療を続けつつ、社会復帰を目指した。
手術後、水も飲めない状況から懸命にリハビリに取り組み、食べる力、話す力を取り戻していった過程は、まさに稀有の復活で、医療者から「どうしてしゃべれるの」「どうやって普通に食べれるようになったの」と驚かれることも多かった。
ホテル勤務の仕事で昼の休憩時間が短くても栄養補給をできるようにと胃ろうを作って、口からの食事と使い分けたりした。友達とおしゃべりを楽しむ中で口の筋肉を鍛えた。工夫しながら実生活の中でのリハビリに取り組む姿は、押富さんとぴったり重なった。
荒井里奈さんと対面した押富さん(2020年9月)
20年秋に私が主宰する市民講座で押富さんに講演をしていただいたとき、荒井さんも参加していて、初めて対面した。短時間しか会話できなかったが、すぐに仲良くなった。意見が一致したのは「医療の教科書に載っていなくても、奇跡は起きる」ということだった。
この二人から感じるのだが、自分が成し遂げたい目標と、自分の体をよく理解したうえでの創意工夫、周囲の協力などがうまく一致したとき、患者の潜在力は医療者たちの想像を超えて引き出されていくのではないだろうか。体力や意欲が減退した高齢患者を目安にしたリハビリのメニューだけでなく、患者の持っている力を見極めて引き出す努力がセラピストたちに求められると思う。
それをテーマにしたシンポジウムを開けたらいいなと思っていたのだが、コロナ禍もあって、機会を逸してしまった。そんななか2021年4月に、押富さんは39歳という若さで人生の幕を閉じた。残念でならない。
連載:人工呼吸のセラピスト