「政府が悪い」「電力会社が悪い」。ちまたで沸き起こる責任論。未来どころか、自分たちの明日の暮らしがどうなるかもわからない。そんな不安のなかにありながらも、ひとつだけはっきり芽生えたものがあった。
それは、「これからの日本では、再エネが求められるようになる。自分たちが行動し、これを広げていかなくてはいけない」という覚悟だった。20代のころから数百億円規模のプロジェクトを動かし、再エネ事業の全工程を経験してきた。同年代で最も再エネに詳しい3人と言っても過言ではないはずだ。
「ここで僕たちが立ち上がらなければ、これまで何のためにやってきたのかという気持ちでした」(長谷川)。
震災の1カ月後には会社を起こすことを決意し、パーパスやビジョン、目指す企業規模から各々の価値観や人生観まで、とことん話し合った。そして11年6月に、3人で持ち寄った150万円を資本に自然電力を立ち上げた。
しかし、元いた会社のなかで再エネ事業を発展させる手もあったのではないか。そう問いかけると、「それまでの経験から、再エネのビジネスモデルの改善点が見えていた。だから自分たちのスタイルでやりたかったんです」と磯野は言う。
具体的な改善ポイントはふたつだ。ひとつは、初めから発電所を所有しないこと。発電所の建設や維持には莫大な費用がかかる。そこで、企業に体力がつくまでは当面、発電所を保有しないと決めた。
「再エネをスピーディに広げるにはキャッシュが早く回るモデルが必要だとわかっていたからできた判断でした」(磯野)
決断の背景には、短期的な利益を優先 し、環境は二の次にしてきた株主資本主義へのアンチテーゼもあった。
「発電所をもつには、第三者割当増資などをしていかなくてはいけない。企業価値 が高くない時期にそれをすると、投資家か ら短期的な利益を求められて、未来のため、地域のためというパーパスが遠ざかり かねない。だから、お金の色にはすごくこだわっていました」(長谷川)
ふたつめの改善ポイントは、思いを共にするローカルと事業をつくることだ。再エネ100%の世界を実現するには、地方に発電所を建設する必要がある。しかし、地球規模の気候変動対策に取り組む結果、開発エリアでは景観や生物多様性などの問題が新たに発生することがある。
「このギャップを埋めないと再エネを増やしていけないというのが、前職での問題意識でした」(長谷川)
そこで、開発のノウハウはすべて提供するが、資金は地銀や地域の有力者が出し、建設は地元の業者が行うことで、開発地域の人たちが地場の課題解決を「自分ごと化」するビジネスモデルを構築した。これなら、資本金が少なくてもスピード感をもって一定レベルまで成長できる。
とはいえ、実績ゼロの会社に次々と受注が入るほど世の中は甘くない。無収入の時期が1年半ほど続いた。そんななか、大きな転機となったのがドイツの再エネ企業juwi(ユーイ)との提携だった。
(続きはフォーブス ジャパン2023年1月号でお読みいただけます)
川戸健司、長谷川雅也、磯野 謙◎3人は2005年から同じ風力発電事業会社で従事。11年の東日本大震災をきっかけに、「青い地球を未来につなぐ」をパーパスに掲げ自然電力を設立した。