栗俣:主人公の信は、もともとは本能型の要素が強かったけれど、王騎将軍に育てられるなかで知略も身につけていきます。
山野:信は「足りないリーダー」なんですよ。だからこそ、人気に拍車をかけたんじゃないかなと僕は思っています。
王騎将軍のような完璧なリーダー像は、常人が努力してもまねできるものではありません。でも、信のようなリーダー像ならまねができそうです。リーダーとしての資質に欠けるところも多く、完璧とはいえない信が、なぜのし上がっていけたのか?
信には「本能型」のリーダーとして傑出した人間的魅力があります。その信の周りに「知略型」の河了貂(かりょうてん)や羌瘣(きょうかい)が集まり、信に足りない資質を埋め合わせてチーム全体で勝利していくのです。チームで補い合っている様が、現代版のリーダーとしては非常に欠乏感があって、共感性を生み出しやすいんじゃないかなと僕は見ています。
©️原泰久/集英社
栗俣:リーダーとしては王騎将軍が見本になるとのことですが、一番思い入れのあるキャラクターは?
山野:大王ですね。蕞(さい)の国の一般市民たちを、大義で立ち上がらせる。あんなことをしてみたいじゃないですか。
人の心を動かすのは、目先のお金ではなく、意義や社会貢献性だと思うんです。人は、世の中に何かを貢献するために生まれてきた。その「何か」とは、この国を存続させることなのだ──大王はそう大義を掲げ、蕞の国民を立ち上がらせて戦い続け、山の民が来るまでの時間を確保しました。
キャラクターとしても、リーダーとしても憧れますね。嫉妬しかないというくらいの素晴らしさが描かれているキャラクターで、記憶に濃く刻まれています。
栗俣:あのシーンで、政(せい=秦の王)自身は山の民が来ることを張っていて、そこに対して仕掛けています。それを知らない人たちを、8日間ほぼ寝かせず働かせるという見え方もできてしまうシーンです。
山野:政には間違いなく自分自身の正義があって、大義があった。それは国の存続であり、国の存亡であるわけです。彼にとっては中華統一が一番のミッションであり、それと比べたら今日1日の死者など小事だというくらい、高貴な大義をもっている。「8日間だまして民を戦わせたヒトラーなんじゃないか」という見方もあるかもしれないけれど、そうした視点を凌駕するほどの圧倒的な、500年間の歴史を覆す大義があった。あなたの今の空腹を満たすことを夢にしているわけではなく、中華統一を夢にしているのです。
栗俣:政の大義のために、必要なことだったと。
山野:政の大義は国家の大義でもあると彼は信じていたし、きっとそうなんだと思うんですよ。自分がやらないと、年間何十万人、何百万人が戦で死んでいく。近しい国の小競り合いがさらに500年続くのではなくて、自分の代の10年でこの全員を殺してでも、その10年以降の先は殺し合いがないのであれば、そっちのほうがリーズナブルだろうという500年ビジョン。そういう国家観で、彼は正しいか正しくないかを判断している。
栗俣:政のシーンのなかで最も魅せられたのは、やはり蕞のところですか?