先にTwitter(ツイッター)への追悼文とも言えるような記事を書いた後、私は著名な牧師でリーダーシップの専門家でもあるアンディー・スタンリーが出演したリーダーシップポッドキャストに出会った。
正直をいって、私はツイッターを前より少し好きになった。
彼は、これもリーダーシップ分野でよく知られた啓発者であるジョン・マクスウェルとおしゃべりをしていた。彼らは、知識にあふれた才能ある知識人であり執筆者だ。会話の全体はこのYouTubeで見られる。
私の注意を引いたのは、ツイッターに関する何気ない発言だった。
最近アンディー・スタンリーは分断と紛争に関する本を書き、彼は自身の研究活動でどのようにツイッターを使っているかについて話した。ツイッターを嫌っている人たちがいることを彼は知っていたが、自身はファンだ。「ツイッターが大好きです。あらゆるタイプの人たちをフォローしています」と彼はいう。
スタンリーは彼がツイッターで読んだコメントについて、それが自分の執筆や思考プロセスにどう影響を与えたかを説明した。そのツイートには彼を魅了したニュアンスと明確な表現があった。「ニュアンスのある会話が可能であれば問題は解決できます」とスタンリーは番組の少し後にいった。
この最後のコメントが私を打ちのめした。ちょっと待ってくれ、彼は本当にツイッターの話をしていたのか? 私が悪口を言いたくなるあのツイッター? そう、そしてそれはこのプラットフォームへの大きな望みであり、イーロン・マスクが本当にこの会社を買うかれしれない新しい時期に入り、数週間後に新しい政治の季節を迎える私たちにとってとりわけ重要だ。
もう1つ、私は映画監督・プロデューサーのJ.J. エイブラムスがソーシャルメディアについて語った有名なことばを思い出した。「私たちは、あらゆるものが即座に暴動の始まりになるように見える瞬間に生きています」とエイブラムスがつい最近EW.comで述べた。「あれは『それは正確に私が見たものなのですか、それともあなたは私の敵なのですか』というやり口です。そんなニュアンスも思いやりもないような規範があるど狂っています。自分たちが下した決断のすべてが、誰かを喜ばせ、誰かを激高させることを私たちは知っているはずです」