読書に関する「やましさ」解消、というミッション
著者は本書の目的を、読書に関する「やましさ」を解消することにある、としている。それは「本を読まなければならない」、「本は始めから終わりまで読まなければならない」、「読んでいない本について語ってはならない」というような規範による「やましさ」だ。目的を達成するために著者自らが体を張っているのだ。これは非常に珍しいし、心強い。
読まずに放置している本を「積ん読」と呼ぶことがある。書店の本棚や電子書籍のリストに興味深い本を見つけたときに「でも、積ん読が溜まってるからな」と尻込みしてしまうのはあまりにも惜しい。
私たちは読むために本を買うが、では何故読むかといえば楽しむためであり、刺激を受けるためだ。本書には以下のような記述もある。
「教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。そうではなくて、全体のなかで自分がどの位置にいるかが分かっているということ、すなわち、諸々の本はひとつの全体を形作っていることを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置付けることができるということである。(中略)ある本に関して重要なのはその隣にある本である」
私たちは本を開くとき、どうしても身構えてしまう。読み始めたからには読破しなければならないと意識してしまう。そのような意識を少し緩めることは、積ん読を消化するだけでなく、新しい書籍との出会い、引いては新しい刺激との出会いを促進する。
些細なタスクとして本棚に溜まっている本を一旦流し読みして(あるいはまったく読まずに飛ばして)みるのはいかがだろう。その勢いで、次の一冊に手を出してみるのも悪い話ではないはずだ。
筆者はバイヤール氏ほどの鬼才ではないので「読んでいない本について堂々と語る方法」をきちんと読み通したうえで、恐縮しつつ、提案する次第である。
松尾優人◎2012年より金融企業勤務。現在はライターとして、書評などを中心に執筆している。