例えば浴衣であれば、マテリアルはコットンで、技法は絞り、用途は浴衣としての着用になります。日本ではそのスタイルが生活に取り入れられて文化になりましたが、ドイツに暮らす中で僕自身が浴衣を着ることはほとんどありませんから、浴衣をそのままヨーロッパに持っていっても浸透はしないはずです。
グローバルでターゲットとなるユーザーは、簡単に言えば『冷蔵庫に醤油が入っていない層』になります。箸の使い方がわからなかったり、そもそも日本にそこまでタッチポイントがない層はブルーオーシャンです。
そういった層に使ってもらうために考えたのが、絞りをマテリアルと技法と用途の3つで変化させることでした。僕らはマテリアをコットンからカシミアに変え、技法の絞りはコアとして変えずに、用途はストールやニットウェアに変更しています。
中道:残したい文化である、絞りというコアは変えずに、マーケットは広げられるという考えですね。
村瀬:「suzusan」を購入していただいたお客さんのなかにも、絞りという言葉を知らない方はたくさんいるはずです。もっと言えば日本製であることを知らないかもしれません。しばらくして商品タグを見てみたら、「メイド・イン・ジャパン」と書かれていたぐらいの感じですね。僕自身もそれぐらいの浸透度を望んでいます。
中道:非常に共感できます。江戸時代の文化と産業のエピソードのように、僕も文化の集積が産業となるのが最適な形と考えています。すべては売上のためという資本主義的考えも否定しませんが、異なるアプローチと言えるはずです。
そうした考えにおいては、日本の文化には世界の産業界で生かせるアイデアが山ほどあります。ただ、日本国内で完結してしまうベースがあり、そこから外れないし、外れようとも思っていないため、おカネが回らない。また、言葉の問題なのか、教育の問題なのか、一歩踏み出すことを良しとされない風潮もあります。
これまでは日本だけでもある程度の経済圏があり、海外に出る必要がそこまでなかったかもしれませんが、人口も減り、文化もなくなる可能性もあり、大きな危機が迫っています。それだけに、「suzusan」の活動は日本がやるべきことのお手本のようです。
村瀬:確かに日本の教育は、出た杭は打たれる風潮はある気がしますね。
僕自身はベースの教育がアートなのですが、アートは、アーティストが個人的な悩みや発見、気づきなどを形にしていくものです。その表現が普遍性のあるテーマであったり、人々の共感を得たりするため、社会の疑問を投げる役であり、答えを出す役ではありません。その代わり、個人の見方で新しいビジネスを生み出すことは、アートにしかできないとも考えています。
アートの切り口での海外の一例として、僕らは毎年サンフランシスコのアートギャラリーで商品を販売していますが、かなりの売れ行きになります。サンフランシスコのベイエリアは多くのIT企業が立ち並び、スマホに呼びかければ答えをくれ、ボタンを押せば3Dプリンターでモノが出来上がる先端技術を日々生み出している世界です。
そんななか、なぜ売れ行きがいいのかと考えたとき、僕たちはベイエリアでは生まれないものを提供しているからだと思い当たりました。手で作り不均一で時間をかけなければいけない僕たちの商品は、GAFAは絶対に作れないはずですから。