KeePer技研 谷 好通

EY Entrepreneur

Of The Year™ 2022

Finalist Interview

Finalist 

Interview

アントレプレナーたちの熱源

KeePer技研

代表取締役会長兼CEO

谷 好通

#05

ガソリンスタンドで働く18歳だったKeePer技研の創業者、谷好通は雨の日になるとホッとしたという。当時、洗車は給油に付随した無料のサービスであり、雨が降ると洗車を目当てに訪れる客もなく、忙しさから解放されたからである。その頃、谷にとって洗車は単に面倒な作業でしかなかった。だが自らが独立して2軒目のガソリンスタンドを構えた際、行政上の手違いで1年間はガソリンの販売ができない状況に陥る。

「これは困ったことになったと思いました。ならば洗車をもっと価値あるものにして、お客さまにお金を払っていただくようにしなくては。そもそも重労働で神経も使う洗車が無料でいいはずはない」

その頃はカーコーディングがちょうど普及し始めた時期。早速試すと「あ、これだ!」と手応えを得た。料金は高額だったが、カーマニアからの依頼は多かった。元々、凝り性だった谷は一気にのめり込む。自らの技術と知識を深め、塗装表面をバフで研磨してピカピカにし、拡大鏡で見ても驚くような仕上げを施した。顧客からの反応も上々だった。

そんなおり、ある町工場の社長の娘さんが「車を綺麗にしてほしい」と谷の元を訪れた。いつもと同様、驚かせようと徹夜をして車を磨き上げ、引き取りの場に臨むと、彼女は最初に束の間、ボディを近くで眺めた後、すぐに遠巻きに確認して「本当に綺麗になった!」と喜んだ。

その光景を見て、谷は愕然とした。技術を極めたコーディングは、近くで凝視しなければその凄みがわかるはずもない。「そうか、普通のお客さまにはこれでいいんだ」

これがKeePer技研誕生の契機だったと言えるだろう。従来の自己満足を悔い、より幅広い層に喜んでもらおうと決めた。自社でワックス、コーティング剤を開発し特許も取得。価格も可能な限り抑えた。そして事業をカーコーティングに特化することを決断し、1993年、同社を地元の愛知県大府市に設立したのである。

以来、用途に合わせて優れたケミカル剤を次々に開発。スタッフの高い技術力とともにハードとソフトの両面で多くの信頼を獲得してきた。その圧倒的な顧客満足度の高さから、リピーターや口コミで知名度が徐々に拡大。現在では同社は全国に95店舗の直営店「KeePerLABO」をオープンするほどに。さらに技術認定店「KeePer PROSHOP」は積極的に加入を募ることなく、約6,300店舗を展開するまでになっている。

2乗の法則からCSとESの同時アップを実現

創業時からの理念「多くのお客さまに喜んでいただく」を愚直に追求し、技術を磨き、新商品を開発するなかで、谷はひとつの法則を発見する。それが“2乗の法則”と呼ばれるもの。すなわち車をレベル1まで綺麗にすると顧客はレベル1喜ぶ。だが2まで綺麗にすると顧客の喜びは4に、4にすると一気にレベル16まで喜んでくれる。結果、綺麗さがレベルアップするごとに価格設定も上がり、得た報酬で新商品の開発が可能となり、より多くの顧客に喜んでもらえることになる。これこそが同社発展の原動力、“ブレないお客さま目線”が生む力なのである。

KeePer技研 谷 好通

そしてこの好循環は同時に、従業員とお客の関係にも当てはまる。お客が喜ぶ(Customer Satisfaction)と当然、自分たちも嬉しい(Employee Satisfaction)。顧客の満足が従業員のやりがい、喜びに直結する。両者は立場は異なれどパートナー。昔、谷がガソリンスタンドで感じた“やってる、やらされている”感とは無縁の信頼関係が築かれ、その対等な関係が生み出す好循環もまた、さらにビジネスを高め、前進させていくのだ。

日本に新しい洗車文化を

「日本に新しい洗車文化を」、これがKeePer技研の目指すビジョンである。このフレーズに託した思いを、同社のWebサイトでは、洗車を散髪に例え説明する。

「車を洗うだけなら、汚れたマイナスの状態からゼロに戻すに過ぎない。だがお客さまの好みに耳を傾け、各自に合ったコーティングまで施せば、プラスの状態になる。それは伸びた髪を切り揃えるだけでなく、ヘアサロンでより洗練された髪型にブラッシュアップするようなもの」

さらにサステナビリティへの関心やライフスタイルの変化によって、気に入った車を長く乗り続けたいというニーズが高まっている昨今。カーコーディングはそれをサポートする有効かつ貴重な手立てとなり得る。しかもそれこそは日本ならではの細やかな心遣いと“もったいない精神”が存分に活かされ、新しい形となって役立つ文化なのではないだろうか。

わずか11文字の短文には、こうした決意が込められている。顧客と対等な関係を築き、お客の喜びを最大化するために心を砕き、そして自信と誇りを持って仕事にあたる。創業者として奔走してきた谷の、これまでの経験と思想が凝縮されたメッセージでもあるのだ。

品質に妥協はない

創業以来、これほど順調な成長を果たすには、もちろん先述のマインドセットだけでは不可能であっただろう。もうひとつ、高い技術力・商品開発力も忘れてはならない。これらふたつが、いわば成長の両輪。

「自分で化学方程式を書き、商品開発をするわけではない。実際の製品づくりは外部に委託しているが、そのカギとなる新たな塗装の仕組みや方法について、思いついたイメージを先方に伝えています」

そんな閃きから生まれた初代のキーパーコーティング「Qシステム」をはじめ、数々の名作といえる製品や技術を確立。いままでに取得した特許は数知れない。谷のインスピレーションに多くを負うそれらは、創造的である分、ほかで真似することも困難だという。もちろんその核心部分は、社内でも谷ほかわずか数名しか知り得ない企業秘密だ。

また、高い技術力・製品開発力を生み出すための仕組みとも言えるのが、社内の開発部門と開発依頼先(研究所や工場)、あるいは現場との距離の近さだ。2001年より業務提携を結び、ケミカル材の共同開発を続けてきたドイツ・SONAX社とも物理的な距離を超え、対等な関係で頻繁に連絡を取り合い、試作品のフィードバックを繰り返す。そこには技術者同士の尊敬の念とライバル心が生まれ、おかげで競うようにクオリティが磨かれていく。一方、社内では現場とのラインも太く密で、顧客の要望や試作品に対する反応を迅速に得ることができる。ちなみに開発部隊は全員、現場経験のある者ばかり。顧客と直接に接した実績があるからこそ、顧客の喜ぶリアルなポイントを共有できるのである。

そんな濃密で迅速なコミュニケーションによって、KeePer技研の技術・製品の圧倒的優位は支えられている。良質な製品を適正に用いれば、誰もが水準以上のクオリティを発揮し、顧客を喜ばせることができる。そのために、培ってきた独自の技術は全国16カ所に広がるトレーニングセンターを通じ、年間のべ4 万人の研修生に徹底的に共有されるという。

全国16カ所のトレーニングセンターでは約70名のインストラクターが、技術とともにKeePer技研の哲学を伝えている。

KeePer技研 谷 好通

2023年、KeePer技研は設立30周年を迎える。これまではある意味、谷の類稀なる熱量に頼ってきた会社の運営だが、次世代に託す準備も徐々に始めている19年に谷は社長職を譲り会長となり、新社長に実務のすべてを任せた。対顧客との関係性と同様、社内でももちろん、使う・使われるといった関係がない社風。社員同士が仲良く家族的な雰囲気で、谷も数年前までは全社員一人ひとりのプロフィール概要まで把握していた。だが会社が拡大し、それが困難になったのを機に、改めて会社の未来を想い始めたという。とはいえ「いまも社内のさまざまな場につい顔を出し、口出しをしてしまう」と笑う谷。

「だから自分の中の『面倒臭い』という気持ちを最大限に働かせ、余計な(面倒な)ことをしないよう自制してしています」

最も面倒臭いと思わないことは何かと尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「客観的には最も面倒なことかもしれませんが、やはり新商品の開発です。これこそ妥協は許されないし、実際にいままで一度も面倒臭いと思ったことがない。各所から次々と寄せられる商品企画に関する相談にはすべて対応し、必ず挑戦します」

現在、同社が手がけるコーティングの領域は浴室、スマートフォンからクルーザーの船底、野外看板にまで拡大中だ。今後も大きな成長のチャンスが広がっていくだろう。

谷はこう続ける「これからもあらゆる乗り物・商品へのコーティングにチャレンジしたい。技術の探究は絶対に止めてはならない。お客さまに価値あるものを提供できて、初めてすべて成り立つわけですから」。谷会長の熱源はいまもなお熱く、そしてその視線はさらなる未来を見据えている。

EY Entrepreneur Of The Year 2022

谷 好通
1952年、愛知県生まれ。高校卒業後、夜間大学に通いながらアルバイトとして勤務したガソリンスタンドにそのまま就職。複数店舗の統括担当者を経て85年に独立。1993年、洗車に特化したKeePer技研株式会社を設立。2015年、東京証券取引所マザーズに上場を果たす。19年に社長職を退き、代表取締役会長&CEOに就任。

KeePer技研
本社/愛知県大府市吉川町4-17
URL/https://keepergiken.co.jp/
従業員/786名(2022年6月末現在)

Promoted by EY Japantext by Fumihiro Tomonagaphotographs by Masahiro Mikiedit by Yasumasa Akashi