SHIFT 丹下 大

EY Entrepreneur

Of The Year™ 2022

Finalist Interview

Finalist 

Interview

アントレプレナーたちの熱源

SHIFT

代表取締役社長

丹下 大

#03

2022年現在、時価総額3,000億円を超えるSHIFTだが、17年前、創設者の丹下大は、エクセル上のみるみる減っていく金額と睨めっこしながら不安に苛まれていた。安定した生活を捨て、会社を立ち上げたものの、順風満帆とはいかなかった。

野球少年だった丹下は、野球選手を夢見ていたが、小学6年生の時、狭き門であるという現実を知る。そこで社長になりたいと思うようになる。それは知っている職業のひとつだったからにすぎないが、その思いはずっと変わらなかった。

京都大学大学院に在籍中も起業を選択肢として考えていたが、当時、関西の大学では起業する人がほとんどおらず、仲間を見つけることも難しかった。2000年に大学院を出ると、製造業向けのコンサル会社に入社した。

「虚を売るのはいやだと思っていたのですが、そのコンサル会社は自前で工場をもっていて、そこで培ったノウハウを売っていたので、入社を決めました」

丹下はすぐに頭角を現し、年間2億円を稼ぐのに時間は掛からなかった。それでも常に念頭には起業のことがあり、タイミングをうかがっていた。

丹下は製造業向けに限らず、業務を効率化することを得意としていた。ソフトウェア開発も期間を短縮できると考え、2〜3年かかっていた開発期間を半分以下にするシステムを考案した。それを特許出願し、大手IT企業に販促することを社長に提案すると、「うちは金型屋だよ」と却下。その保守的な考えを理解できなかった丹下は、いまこそ起業のタイミングだと考えた。05年、30歳の時だった。

社長にはエゴが必要

起業といっても、丹下に具体的なビジョンがあったわけではなかった。ただし社名だけはすぐに決まった。

「資本主義でも社会主義でもない、新しい幸せの形があるのではないか。その方向へ“シフト”させたいと思い、『SHIFT』という社名にしました。それなりに稼いでいたコンサルタントを辞めてまでして取り組むからには、お金だけのためにやるのはありえないと思っていました。新しい価値の概念を誠実に追求したかったのです」

それがSHIFTの企業理念であり、大組織になったいまも変わっていない。同じく創業時に策定した「ふてくされない、素直に受け入れる」「できないとは言わない、できると言った後にどうやるかを考える」「我々はビジネスの世界におけるアスリートである、脳で汗をかけ」「楽しいと思えることを提案し、自ら仕事を創りだす」「つらいときこそ、笑顔」といった行動指針も変わっていない。いまでは、この指針に共感して入ってくる社員も少なくない。

SHIFT 丹下 大

肝心の事業はというと、模索する日々が続き、資金が減る一方だった。さまざまなビジネスを立ち上げ、モバイルサービスを手掛けたこともあった。

それは仮想空間やSNSの要素を外の現実世界と結びつけた、当時としては画期的なサービスだった。ところが社員からの「そんなに外に出たい人ばかりではない。自分は家に引きこもりたい」という意見に従ったところ、平凡なコンテンツになってしまった。

「全員が満足するサービスをつくってしまったので、単なる携帯電話の位置情報サービスの延長になり、エッジが効かなくなってしまいました。これが僕にとって人生最大の失敗です。人の話を聞くことは経営者にとって、必ずしも最適解ではない。自分のエゴを追求するべきですし、それが世の中のニーズが合わないと、会社は大きくならないのです」

杜撰だったソフトウェアテストの手順を標準化

10ほどの事業を立ち上げたものの、ことごとく失敗し、離れていく社員もいた。結局、会社を支えたのはコンサルティング業務だった。09年、顧客だった大手IT企業が失意の丹下に転機をもたらした。

「ソフトウェアテストに年間7億円もかかっているので、なんとかしたいと相談を受けました。調べてみたら、アウトソーシング企業など数社が談合をしていることがわかりました。当時、エンジニアの単価は80万円程度だったのですが、なぜか110万円で見積もっている。テストだけなのに、エンジニアよりも高い金額を提示していたのです」

さらに問題の本質を追及すべく、丹下はソフトウェアテストの仕組みを徹底的に調べた。そこでわかったのは、テストのやり方が適当で、方法論が存在しないということだった。そこで丹下は手順を標準化し、テストのためのツールを開発。それは、コンサルティング業務で成果を上げてきた丹下の得意とすることだった。

そして、SHIFTでテストを行うことを提案し、それが受け入れられると、そのIT企業のテストにかかるコストを7億円から1億円にまで削減することができた。その成功体験により、ソフトウェアのテスト・品質保証が事業の柱となった。BtoBのビジネスを極めようという決意が固まったのだ。

「BtoCは“総合格闘技”です。短距離が速いだけでは野球はできないし、ボールを遠くまで投げられるだけでもできない。我々は総合格闘技はやめて、特定の分野を鍛えるBtoBでいこうと、社員に言いました。とにかく徹底的にテストをやろうと決めたのです」

ソフトウェアの品質に課題を抱えるIT企業は多く、この事業を開始してからSHIFTは急成長を遂げた。企業規模が拡大するのにともない、事業領域も広げてきた。

「お客さまがもっとも必要としているのは、売れるサービスをつくる手伝いをしてくれること。そのためには開発も必要ですし、セキュリティ対策やコールセンター、デザインも必要です」

それらさまざまな領域をカバーするために、積極的にM&Aを行ってきた。これまでに30社以上の企業をグループに迎えているが、その目的は単に売上を増やすためだけではない。IT業界を変えたいという思いからだ。

「IT業界は多重下請け構造がひどい。大手のIT企業やコンサルティングファームが200万円で受ける仕事が、末端になると50万円になる、あまりに不公平な業界です。私は父性本能が強いので、既得権益で生きている人が許せません。だから事業会社から直にプライムで仕事をとることにこだわり、グループ会社とプロジェクトを協業する際も、一切、中抜きをしていないのです」

22年1月には投資会社「SHIFTグロース・キャピタル」を設立し、M&Aに関する意思決定の迅速化を図っている。

下請け構造を解消する“民主革命”

父性本能の強い丹下は、社員を守りたいという意識が強い。いまやグループ全体の社員は約9,000人を超えるが、年功序列ではなく、実力主義で透明性の高いフェアな評価制度をつくり、エンジニアが正当に稼げる仕組みを整えているのだ。

「下請けで働いている人たちは、たまたまその会社に入っただけで、大手に入った人は、学歴がよかっただけ。人間にはそれぞれ個性があるのに、型にはめようとしているのです。下請けで働いている人たちは、実力があってもその壁を飛び越せません。私はそういう下請け構造をなくしたい。すなわちこれは“民主革命”なのです」

丹下が構想するのは、下請け業務を一手に引き受ける巨大グループの構築だ。

「工場を持たないアップルは、製品の企画だけをし、台湾の電子製品受託生産大手・鴻海科技集団(フォックスコン)が生産を担っています。将来的には、細かい部分をつくる会社はなくなり、その2タイプの会社しか残らないのではないかと思っています。我々は、IT業界のフォックスコンになりたい。それはひとつの町をつくるような感覚です」

業界の慣習を変えることで会社を急拡大させてきた丹下は、自分を育ててくれた地域や学校に恩返しをしたいという思いが強い。

丹下が生まれ育った広島県神石高原町は、過疎化が著しい。地域を活性化させようと丹下は、牧畜業に投資したり保育所施設を整備したりするなどして地元に貢献している。また母校・京都大学では、起業家支援を行っている。

丹下の4億円の寄付により建設されている広島県神石郡神石高原町の保育所施設「町立こばたけ保育所」の完成予想図(2023年秋完成予定)。総面積は1052.75㎡。©坂倉建築研究所

SHIFT 丹下 大

「関西の大学では周りに起業する人があまりいないので、情報も資金も集まりませんし、メンターもいません。これがディスアドバンテージになってしまったと、いまでも後悔しています。いまの学生にはそういう思いをしてほしくないので、同大学出身の起業家たちと資金を出し合って基金を立ち上げ、支援しているのです」

社会や業界を変えたいという熱意と、恩返しをしたいという思いが、丹下のアントレプレナーとしての原動力になっているのだ。

EY Entrepreneur Of The Year 2022

丹下大
1974年、広島県神石郡三和町(現神石高原町)生まれ。同志社大学工学部機械工学科卒業、京都大学大学院工学研究科機械理工学専攻修了。インクス(現SOLIZE)を経て05年、SHIFTを設立。09年にソフトウェアテスト事業に参入。14年に東証マザーズ上場し、19年に東証一部に市場変更。22年、東証プライム市場へ移行。EO(起業家機構)の日本支部・EO Tokyoの会長を務める。神石高原町名誉町民。

SHIFT
本社/東京都港区麻布台2-4-5メソニック39MTビル
URL/https://www.shiftinc.jp
従業員/連結9,361人(2022年8月時点)

Promoted by EY Japantext by Fumihiko Ohashiphotographs by Masahiro Mikiedit by Yasumasa Akashi