ライフスタイル

2022.08.21 12:00

レタスのようなデザイン? 日本車を上げて落とす世界一の辛口評論家

日産フェアレディ240Z


そして、「なぜ日本車が急に人気が出たのかがポイント」だと言う。かいつまんで言えば、「60年代、イギリスの車にヒーターやラジオを付けたければ、オプションとしてさらにお金を払わなければならなかった。しかし、日本車ではこんな設備は全て標準装備だった」と。
advertisement

また、「寒い冬の朝、家を出て英国車に乗ってエンジンをスタートしようとすると、しょっちゅうエンジンが掛からなかった。でも、日本車は冬でも夏でもちゃんとスタートできた。信頼性は抜群だった」と。「日本車が現れるまで、僕らはクルマは当然、しょっちゅう故障するものだと思い込んでいた」 

こういう訳で、欧米のユーザーは少しずつ日本車に関心が向き始めていた。当時の比較が面白い。例えば、1978年には、アメリカのゼネラル・モーターズ社は社員一人当たりクルマ14台を製造していた。いっぽう同年、イタリアのアルファロメオが作ったのは一人当たり6台だ。それに対して、トヨタは当時、何と一人当たり43台作っていた。そのように日本はそのまま世界一の自動車大国になっていった。

70年には、オーストラリアで信頼度抜群となったトヨタ・ランドクルーザーが、それまで90%以上のシェアを確保し続けてきたランドローバーを完全に踏み潰し、2%にまで追い落とした。クラークソンは触れなかったけど、ランクル同様に80年代の後半に登場した日産スカイラインGT-R、マツダ・ロードスター、トヨタ・セルシオ、スバル・レガシィなどは欧米の車づくりに影響を及ぼした。
advertisement

ロードスター
マツダRX-7
 
同じ頃から日本のカーメーカーは、世界の一流モータースポーツも勝ち始めていた。88年にホンダがF1を制覇し、90年にスカイラインGT-Rがオーストラリア・バサースト1000kmレースを圧勝。91年にマツダがルマン24時間に優勝し、それに、90年代後半に、スバルと三菱がワールドラリー選手権に何回も王者を獲得した。また、アメリカでは10年以上、ホンダ・シビックは最も売れた車種として記録を伸ばしていった。また、信頼性No1のトヨタ・カローラは世界一売れる車種になっていった。

カローラの写真
今見ると、むしろかっこいい。1970年のカローラ phptpby shutterstock.com

ただ、クラークソンが言うには、そのカローラのデザインは「レタスを食べるのと同じ感じ」。口に入れた途端、少しは味があるけど、その味と感触はすぐ消える。彼の有名な比較は、とある駐車場に白い冷蔵庫や洗濯機を並べ、その列にカローラを1台加える。「デザインがあまりにも平凡でつまらないので、カローラを冷蔵庫と間違えてしまう」と言うのだ。

ちょうどその頃、欧州の関税や輸入税を避けるために、トヨタ、日産、ホンダがイギリスで生産工場を次々建てた。すると、当時のプジョーのジャーク・カルベイ社長は、「イギリスは、まるで欧州沿岸に停泊する日本の空母になったね」と冗談を言った。けれど、その後すぐに、日本のメーカーはフランスにも工場を作った。アメリカにもアフリカにもオーストラリアにもどんどんと工場を建てた。

この番組でクラークソンが一番感心したのは、日本車の技術とハンドリングのレベルだね。GT-Rにしても、三菱ランサー・エボリューションにしても、スバルWRXにしても、ホンダNSXにしても、どの車両も世界最高級のテクノロジーを搭載していたので、ハンドリングはどの他の国のライバルよりも優れていた。
次ページ > 日本車の「今」はもう違う

文=ピーター ライオン

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事