同番組の主役、世界一有名で世界一辛口なモーター・ジャーナリストの「ジェレミー・クラークソン」が語ったコメントを聞けば、頷く人もいれば、怒る人もいるかもしれない。今回の記事には、今まで僕が書いてきた中で、最も過激的なコメントが出るはずだけど、僕には怒らないでくださいね。そういう超辛口なコメントをしたのは、クラークソンだから、怒るなら、彼にね!
ジェレミー・クラークソン
この記事を読む前に覚悟して欲しい。同氏は日本車をベタ褒したその口で、今度はべらぼうに批判する。こんなに批判するジャーナリストは今までにいなかったかもしれない。簡単にいうと、日本車の技術や信頼性のレベルは世界一だけど、デザインは世界最低だという。「魂を感じない」と。覚悟はいいですね?
まずはこうだ。「クラークソン・カー・イヤーズ」という番組で同氏が何を言ったかを探ってみようと思う。番組の冒頭では、戦後の話をしている。1950年代、日本の自動車業界は滅びていた。でも、すぐに立ち直った(というか、1950年以降、本格的な産業になったんだけどね)。つまり、70年前は日本は大変厳しい状況に陥っていていたけど、今現在(当時は2000年)は世界をリードするハイテクのマシンをどんどん作っている。「良い例は日産スカイラインGT-R R34だった。この2ドア車は世界で最も優れた車両と言えるではないか?」という。その直6エンジンに何と2つのセラミック製ターボチャージャーが着き、レースカー並みのシャシー、4輪駆動、それに4ホイール・ステアリングも搭載している。「他の国のほぼどのクルマよりも速くコーナリングができた!」と褒める。確かに、彼が言う通り。世界に輸出されなかった同GT-Rは当時、最高のクルマだったといえる。
GT-R R32
さて、日本はどうやって最高の車作りを成し遂げたのか? 最初、50年代にオースティンがダットサンの技術者をイギリスに呼び、その代わりにイギリス人のエンジニアを日本に送り込んだ。ある程度、クルマ作りの勉強をした日本の担当者は、「近い将来、オースティンのように素晴らしいクルマとトラックを作るように努力します」と言って、オースティンの開発者に感謝をしたという。
1963年頃、初めて日本からイギリスに輸出された車両は、〈ダイハツ・コンパーニョ・ベルリーナ〉だった。「パッと見可愛いかなと思ったが、良く見ると、外観のスタイリングはフィアットとオースティンを足して2で割ったような感じだし、当時テストした同僚は『加速は測れないほど遅いし、ブレーキはまるで竹でできているかのようだった』と言った。つまり、なかなか止まらないわけ」だと辛口。
Daihatsu Compagno(Gettyimages)