そもそも疑問に思うのだが、ホテルに籠るような先生がたは、資料などをどうしているのだろう。もちろん、チェックイン時に使いそうなものは持ち込むにちがいないが、書いているうちに「あっ、あれはあの本になんか良さそうなことが書いてあったな」と思ったりはしないのだろうか(僕はよくある)。
文豪と呼ばれるような人や超売れっ子は、編集者に「すまん、あれを取りに行ってくれ。書斎の右から3つ目の本棚の下から2段目あたりにあるだろうから」などと言って、自宅に走らせたのかもしれない。
いやそもそも今、いざホテルに籠るということになれば、原稿用紙と万年筆を携えて行った昔とはちがい、ノートパソコンを持ち込むことになるだろう。しかし僕などは、1日か2日、それも数時間ならいいが、朝から晩まで作品に取り組むとなると、ノートパソコンではとても書けない。もっと大きな画面で、日頃から慣れている専用のキーボードで打ち込まないとイライラしてくる。
それに、備え付けの机や椅子が身体に馴染まなかったらどうするんだろうか? 書くという作業は、肉体労働的な要素が多分にあるので、道具はそれなりに自分にフィットしたものを選びたい。そういうことを考えていくと、書く場所は自宅の自分の部屋が一番という結論に達する。
新型コロナウイルスに感染して
実は、今年の7月、次に出す予定の小説を、6月末に脱稿し、まずはひと安心と思い、都心に出かけて会食したら、新型コロナウイルスに感染してしまった。この時、隔離期間を過ごす場所については、自宅か、それともビジネスホテルに移るか、という二択があった。
家族に迷惑をかけたくなければ、ホテルを選択したほうがよさそうだが、もし、脱稿した原稿に思いがけない指摘があって至急書き直さなければならなくなった時、ホテルの机に座って小さなパソコンで直すことを考えると気が重い。軽いエッセイならいいが、長編小説となるとやはり自分のデスクトップでないと書きづらいのだ。
そのぐらい僕の机周りは、小説執筆用に独自にチューンナップされている。最近のミュージシャンには、自宅に録音できる環境を整えて、そこで録音する人が増えているが、これは予算の都合もあるだろうが、自宅でじっくり自分が慣れ親しんだ機材で自分の作品をつくり上げていくほうがいいという積極的な意味もあるらしい。
小説も音楽もコンピュータと言う道具が介在することによって作品づくりが変わってきているのではないかと最近では思っている。
さて、話をコロナ感染に戻すと、やはりここは自宅にいたほうがいいだろうと思い、自宅隔離を選択し、書斎に布団を敷いて寝ていたら、やはり編集者が連絡してきて、ここの部分を何とか直してもらえないだろうか、という打診があった。
聞いてみると、それはそれなりに納得できる指摘である。39.9°まで上がっていた熱もちょうど平熱に戻っていたところでもあったので、布団をたたんで、部屋の隅に寄せ、デスクトップのパソコンを立ち上げた。
連載:小説書きの「嘘で語る真実」
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