コロナ禍で再熱 ゴルフ場「太平洋クラブ」が復活したわけ

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千葉県八千代市にある「太平洋クラブ 八千代コース」は、都心から約50分と便利な場所である。野地氏の書籍によると、八千代コースは1961年に開場したゴルフ場で、それを太平洋クラブが取得しクラブハウスやコースを改修したという。
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「もともとはパブリックコース(会員制ではない比較的安価なゴルフ場)だったけれど、太平洋クラブが取得して良くなったんだよね」という話は、会員さんからも伺ったことがある。

このコースにはもともとカート道があったそうだたが、それを廃止し、徒歩で周るコースに変更。クラブなどの道具だけをカートで運んで貰える仕組みだ。コースは実に美しい。


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要するに、資金を投入して再生をして、高級なゴルフクラブへと生まれ変わったのである。太平洋クラブは「改修とはユーザーのためにやることである」をモットーに、アプローチ練習場のネットの色に緑色ではなく茶色を使用したり、バンカーの形を変えたりと、数えられないくらいの改修と改良を行っている。

ちなみに、併設のレストランの料理も冷凍食品ではなく手作りにこだわっている。ブイヨン、スープから手作りをしているそうだ。アイスコーヒーの氷も、コーヒーを凍らせたものだというから驚きだ。料理提供までは約5分と提供スピードも早い。シンプルで美味しいものにこだわり続けているという。

ちなみに筆者は麻婆豆腐が大好きなのだが、この本にも麻婆豆腐に関するエピソードが書かれている。それはぜひとも読んでいただきたい。

一度つぶれたゴルフ場を、なぜ再建できた?


実はこの太平洋クラブのオーナーは、パチンコ・スロットを始めとするエンターティメント企業のマルハンである。2013年5月、マルハンは太平洋クラブとスポンサー契約を締結した。

改革は、お金があればできるというものではない。そもそもマルハンの創業者・韓 昌祐(現・代表取締役会長)はパチンコ店の常識を打ち破る男だった。1990年代、35店舗だったマルハンは、30年後の現在には314店舗にまで拡大している。地元に根づいた商売をしていることが多いパチンコチェーンを、全国規模の企業にまで大きくしたのは、彼の努力の成果である。

「全国チェーンになって成功するしかない。成長するには、良い人材を採用するしかない」というのが、創業者の後を継いだ韓裕(次男)、韓俊(三男)というふたりの考え方である。不正やパワハラをする店長を続々と首にしていった。こうして、既存の価値観で低迷していたパチンコ店を破壊し、よりエンタメ性の高いサービスへと改革していったのである。
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文=野呂エイシロウ

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