ところが……。52歳の年末だった。あるメディアの役員と経営者と3人で食事をしている時、「野呂くんはゴルフをやらないの?」と言われた。
普段だったら「ないです」と断るのが僕の常だったが「面白いかもしれませんね」と答えてしまった。気がつけば、あれよあれよと巻き込まれて、半年後の2021年の夏にはコースデビューした。
そのころは新型コロナ真っ盛りだったが、朝ゴルフ練習場に行くと早朝から大行列。30分以上並んだことはザラにある。
スコットランドにある全英ゴルフ協会R&A(Royal and Ancient Golf Club of St’Andrews)とスポーツマーケティングサーベイズ(SMS)によれば、2021年にゴルフを始めた人は世界で660万人。コロナ禍で、ゴルフ人口は6600万人まで増加したという。
日本のゴルフ人口は、1994年の1450万人をピークに、2020年には520万人まで減少している。ゴルフ場自体も2002年の2457コースをピークに減少を続け、2020年には2209コースになっている。
生まれ変わった「太平洋クラブ」
筆者はゴルフを始めるまで知らなかったのだが、日本にはいくつか「名門ゴルフクラブ」と言われる場所がある。東京近郊のもので言うと、東京オリンピックで使われた「霞ヶ関カンツリー倶楽部」「(埼玉県)、最盛期には会員権が4億円とも言われた小金井カントリー倶楽部」、白洲次郎さんが田中角栄総理とやりあったことで知られる「軽井沢ゴルフ倶楽部」などがそれだ。
そんななか筆者が関心を持ったのが2012年に経営破綻し、見事に復活した「太平洋クラブ」。最近、個人的にも親交があるノンフィクション作家・野地秩嘉氏の著書『名門再生〜太平洋クラブ物語』(プレジデント社)を読んで、初めてわかったことが山のようにある。
野地秩嘉氏