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2022.07.02 11:30

世界的トップシェフがペルーで「レストラン兼研究所」を始めた理由

レストラン兼研究所「ミル」

標高3400メートル、空港に降り立った途端に高山病になる人もいるというアンデスの都市、クスコ。古くから「聖なる谷」と呼ばれた場所を流れる空気は、いつもなぜか薄い紫色のヴェールをかぶっているように見える。

連なる山並みは、断崖絶壁に等しい急斜面。その山肌に、幽かに縞模様が見える。限られた土地で生きていくために、人々が開墾した段々畑だ。標高4600メートルの山の頂近くまで、その縞模様は続いている。厳しい環境でも土地を耕し「ここで生きていく」と決めた人々の意思が、そこにある。

インカ帝国の遺跡が多く残るペルーは、農業国としても知られている。この聖なる谷から車で約1時間半の場所にある史跡「モライ遺跡」は、インカ帝国の人々が見た夢の跡だ。


モライ遺跡とミル(左下)(C) Gustavo Vivanco

ローマのコロッセオを思わせる形状だが、イタリアのそれと異なり、娯楽のために作られたものではない。ここではかつて、帝国の拡大に伴い、より多くの人を養うために、どんな日当たりで、どんな品種の作物を育てるのが効率的かを研究する農業試験場だった。現在のエクアドルからチリに至る巨大な帝国は、農業が支えていたのだ。

その「農の力」を、世界に発信しようとしているのが、シェフのヴィルヒリオ・マルティネス氏だ。

彼がペルーの首都、リマに2009年にオープンした最初の店「セントラル」は、世界のベストレストラン50で4位となり、世界的に影響力のあるシェフとして知られている。


「ミル」の前に立つヴィルヒリオ・マルティネス氏

ペルーの文化を深く調べて料理に反映しているマルティネス氏は、「インカ帝国以前から、このあたりでは農業の研究が始まっていた」という。しかし、近代化と共に海外からの安価な輸入食材に押されて農業が立ち行かなくなり、若者たちは職を求めて故郷を離れ、リマなどの都会へ移住。後継者のいない耕作放棄地が、モライ遺跡でも目立つようになったという。

そんな現状に歯止めをかけるべく、ヴィルヒリオ氏は2017年、モライ遺跡のすぐ隣に、レストラン兼研究所「ミル」をオープンした。
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編集・写真=仲山今日子

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