「私は殺ろしていません」
6年前、350通余の真に迫る文面を取材過程で知って読んだ中日新聞大津支局の角雄記記者は秦融編集委員に相談した。確定審どころか、第二次再審請求審一審でも棄却され、本人は服役中の事件。紙面化は困難と思えたが、秦委員はこう答えた。「裁判は裁判。報道は報道。大切なのは“真実”を伝えること」
「元記者、今精神科医」として
私は1991年まで中日新聞社で記者として働いていた。秦委員はその時の同期だ。その縁で5年前、彼から精神科専門医の私に問い合わせがあった。
「殺人罪で捕まった女性が、獄中から無実を訴える手紙を350通以上も親に出している。発達障害だとおもうが、見てもらえないだろうか」
2017年2月、私は古巣の中日新聞本社を訪れ、美香さんの手紙の一部コピーに目を通した。数枚の中にも特徴があった。
一見饒舌に見えながら、幼い言葉遣いで句読点の使い方が不適切。無実を訴えた直後に食べ物や本の差し入れをいきなり書く唐突さ。そして、楽の「白」を「自」と書いたり、護のつくりの草冠を省いたりする漢字の間違い方。なにより、「殺ろしていません」の字余りの「ろ」がすべてを物語っていた。
秦委員に「発達障害の中でも気が散りやすく、じっとしていられず衝動的になりがちなADHD(注意欠如多動症)と、他に軽度知的障害があるね」と伝えると、驚く表情を見せた。
始まった「法・医・報」の三位一体アプローチ
この日を境に、法(弁護団)・医(精神科医)・報(取材班)の“三位一体”アプローチが始まった。話はとんとん拍子に進み、滋賀県の両親への聴き取りを経て、2017年5月、私は旧知の信頼できるベテラン臨床心理士と、和歌山刑務所で服役中の美香さんへの精神鑑定を行った。
西山美香さんの「獄中精神鑑定」を紹介する中日新聞特集記事
結局、2017年5月から始まった中日新聞の連載「西山美香受刑者の手紙(のち西山美香さんの手紙)」は約5年40回に及んだ。その間、同年8月・美香さん満期出所、12月・大阪高裁再審開始決定、2018年3月・日弁連再審請求支援事件指定、2019年3月・最高裁再審開始確定、2020年3月・大津地裁再審無罪判決言い渡し。
満期出所後、自宅で初めてスマホを触る西山美香さん(左は筆者)
このわずか数行の要約の中に、どれほどのドラマが詰まっていたか! 詳細は中日新聞編集局のまとめたブックレット『私は殺ろしていません』(中日新聞社)と、同局滋賀・呼吸器事件、秦融取材班デスクが著した『冤罪をほどく “供述弱者”とは誰か』(風媒社)を読めば分かる。そのなかで特筆すべき部分を抜き出しておこう。
冤罪をつくるは組織、解くは「個のつながり」にあり──
呼吸器事件公判に関わった裁判官24人が素通りした警察・検察の「嘘の構図」に切り込んだのが後藤真理子大阪高裁裁判長。なぜ、彼女だけが見抜けたのか?