「アラームが鳴らなかった」理由
理由は明快。チューブは、外れていなかった。
痰吸引を怠るという自分の不作為がもとでTさんが窒息死したと直感した看護師が、とっさに身を守るためついた嘘だった。その証拠に、Tさんの呼吸停止発見後、看護師は痰の吸引をしつこく続けている。
しかし、いったん業過で捜査を始めた警察は、その線に沿う証拠だけを集めようとした。看護師も途中から、チューブ外れは記憶があいまいと証言を変えているが、司法解剖で「チューブ外れによる窒息死」と鑑定され、走り出した“トロッコ”は進路変更できない。
事件から1年が経ち、捜査は意外な急展開を見せた。
“トロッコ”の方向を変えたのが、美香さんの証言だった。
「アラームは鳴ったはずや!」──迫る刑事
状況が進展せず、捜査の主体は地元署から滋賀県警に代わり、山本誠刑事が美香さんの担当となった。アラームは鳴ったはずや、と迫った。机を蹴り、否定する美香さんの顔を机上のTさんの写真に近づけ「申し訳ないと思わんのか!」などと怒鳴った。
恐ろしくなった美香さんは「鳴った」と思わず答えてしまった。
彼女には軽度知的障害と発達障害(注意欠如多動症と自閉スペクトラム症傾向)があるが、それまで一度も診断されていなかった。事件のあった19年前、まだ世間的に発達障害の認知度は低く、こうした供述弱者への捜査上の配慮は無きに等しかった。
海外で供述弱者は、事件の際に「脆弱な目撃者」として扱われる。面接で質問を繰り返されると、最初の自分の回答が許容されない、あるいは間違った合図と認識する傾向がある。ゆえに、彼らは同じ質問を繰り返されると、40%の高率で反応を変えてしまうという研究がある。(『取り調べにおける被誘導性』北大路書房)
『取り調べにおける被誘導性』(北大路書房刊)
西山美香さんも、そのうちのひとり、ということになる。
「私がチューブを抜いた」。
そして、ここが最大の岐路だった。見込み通りの回答を得た山本刑事の美香さんへの態度が、180度転換して優しくなった。さながらテレビドラマのように。
刑事の策略を読めない彼女は、家族や対人関係のことなど、悩みを赤裸々に伝えた。
とりわけ、勉強のできる二人の兄へのコンプレックスは話さずにはいられなかった。それに対し山本刑事は「あんたは賢い。兄さんたちと同じだ」。これをどれほど喜んだか。後年、彼女は私に語った。「その時は(刑事を)白馬の王子と思ってました」。
ところが、美香さんの「アラームは鳴った」発言で苦境に陥ったのが看護師。アラームに気づかず居眠りしていたとして、追い詰められた。
じつは、障害ゆえに友人の少ない美香さんの相談相手が看護師だった。自分のひと言で大切な人が苦しむのを知り、「本当はアラーム、鳴っていない」と刑事に掛け合った。しかし、受け入れられるはずもない。悩み抜いた末に出した結論が「私がチューブを抜いた」だった。チューブを抜くイコール殺人という考えは、頭の片隅にもなかった。
こうして2004年7月6日、西山美香さんは殺人罪容疑で逮捕された。当時は、逮捕という言葉の意味すら分からなかった。
身柄を拘束された美香さんは、獄中から両親に手紙を書き続けた。
秦融編集委員に見せられた、西山美香さんの手紙コピーからわかったこと(筆者講演時の資料より)