岩波ホール最後の上映作品 「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」


土地は歌で覆われている


この後、第2章以降、ヘルツォーク監督はチャトウィンが歩いた軌跡を追って、カメラを携えて世界をめぐる。

チャトウィンが10代の頃、寄宿学校時代に通っていたイギリス南西部のエーヴベリー遺跡。彼の妻が「魂の風景」と語るウェールズのブラックヒルズ。アポリジニを訪ねて中央オーストラリアへ。そして南米大陸の南端ビーグル水道から作家チャトウィンを生んだパタゴニアに。撮影された映像はダイナミックで、関係者の証言はみな貴重なものだ。

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中央オーストラリアの「ソングライン」を彷彿とさせる風景(c)SIDEWAYS FILM

なかでも、チャトウィンが他界する前々年に発表した代表作である「ソングライン」の舞台ともなった中央オーストラリアに赴いた第3章は興味深い。もともとヘルツォーク監督とチャトウィンはオーストラリアのメルボルンで知り合った。互いにアボリジニの神話に魅せられており、意気投合したという。

「ソングライン」というのはチャトウィンの命名だが、現地には「ドリーミング・トラック」とも言われる土地は歌で覆われているというアボリジニの考えがあり、彼らは旅する際にはそれらを道標として移動していった。つまり「歌のライン」に沿って。

ヘルツォーク監督は、音楽家や現地の長老たちに「ソングライン」について尋ねていく。それは同じ世界観を抱いていたチャトウィンという存在を通して、ヘルツォーク監督が自分自身を問いかけていく行為でもあった。そういう意味では、極めて哲学的な作品でもある。

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ヴェルナー・ヘルツォーク監督(c)SIDEWAYS FILM

作品の原題は「Nomad: In the Footsteps of Bruce Chatwin」。邦題に付けられた「歩いて見た世界」というものも悪くはないが、原題から見えてくるのは、つまりヘルツォーク監督はチャトウィンの足跡を追うことで「ノマド(放浪)」について考えているということだ。

かつて人類が狩猟で暮らしていた頃、日々の生活は「放浪」とともにあった。つまりノマドについて考えることは、われわれの起源について考察することに他ならない。幼い頃から古代史に興味を抱いていたチャトウィンが、最後にソソングラインに行き着いたのも、いわば必然だったのかもしれない。ヘルツォーク監督も次のように語っている。

「ブルース・チャトウィンは、神話を心の旅として表現してきました。この点において、作家としての彼と、映画監督としての私は、同志であることがわかりました。私はこの映画で、野生の気質や奇妙な夢想家たちと出会い、人間の本質や存在という大きな概念を探求しています」
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文=稲垣 伸寿

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