日本人に「イプシロンデルタ論法」を教えるのは難しい?
──日本の数学教育の問題点があるとすれば、何でしょうか?
日本の数学教育で、「現代人にとって、本当に必要な数学の基礎的スキル」とは何なのかについての社会全体の共通コンセンサスが取れていないことは残念ですね。
「大学受験を乗り越えるための基礎的スキル」についてのコンセンサスは、日本では非常に精巧に取れています。しかし、みんなが勉強するべき基本と、それほどではない基本、つまり「基本プラス」的な基本との区分けに関して、行政や教育の現場、そして社会全体にまたがる統一的見解が得られたことは一度もないように思いますし、それを本気で目指したこともないと言っていいのではないでしょうか。
──数学を学ぶ場合の、自然言語上の問題はありますか?「日本語で学ぶ」ことに不利はないのでしょうか?
数学の世界における世界と日本、を考えた場合、日本では実社会への数学理論実装の社会全体を巻き込んだ「問題意識」が育まれ始めてまもない、と言いましたが、言葉の問題もまた、少なくとも入り口の部分ではあるかもしれません。
たとえば私自身、日本人に「イプシロンデルタ論法」を教えようとすると、言語の構造が壁になって教えにくい、という経験はあります。
「イプシロンデルタ論法」の場合、日本語で説明しようとすると「すべての正の実数イプシロンに対して、ある正の実数デルタが存在して、云々」となりますが、英語だと、“For any positive real number epsilon, there exists a positive real number delta, such that…”というように、情報をあとからあとから追加していける。英語的な言語構造の方が、数学理論は説明しやすい。日常会話と同じ語順で数学を説明できるのは有利かもしれませんね。
もっともその英語を母国語とするイギリス人が、「昔の人はラテン語で数学を学んだから有利だった。英語より、論理の構造を理解しやすかったから」。と言っているのを聞いたこともありますが(笑)。
ただ、いったんちゃんと理解してしまえば、数学をどの言語で学ぶか、考えるかの問題はそれほど大きくないと私は思います。数学、とりわけ代数学の世界で対話をするためには、自然言語だけでは明らかに不十分で、「数学的抽象概念の言語」を話せるようになることがむしろ大事だからです。