この状況に対する備えはまったくできていないが、人間社会の進歩はつねに「戦うか、逃げるか」の先にある。
職場やSNSでの衝突/対立を解消し、そこから前進するための秘訣を明かした、英国タイムズ紙の2021年ベスト哲学&アイデア書籍『CONFLICTED(コンフリクテッド)』(イアン・レズリー著)から、読みどころをピックアップする。
謝ることは、ほとんどの人が手遅れになるまで習得しようとしない技術だ。
ヴァッサー大学の経済学准教授ベンジャミン・ホーは、なぜある種の謝罪は効果的で、ある種は不誠実で無価値とみなされるのかを研究している。経済学者が注目するには奇妙なテーマと思えるかもしれないが、ホーは行動経済学者であり、社会的行動のコストと利益に関心を持っている。
経済を動かすのはつまるところお金ではなく、人間関係だ(経済学者がこのことに気づくのに長い時間がかかった)。私たちが社会的交流のなかで犯す過ちは、人間関係を損なったり破壊したりする。謝罪は人間関係を回復するための重要な手段である。
企業の観点から言えば、謝罪は経済的に重要な意味を持っている。
フォルクスワーゲンやフェイスブックのような企業が過ちを犯したとき、消費者との関係に与えるダメージを最小限に抑えるには、効果的な謝罪が不可欠だ。
ミシガン大学のフィオナ・リーは2004年の研究で、21年にわたる14社の年次報告書を調査し、これらの会社が業績不振などのネガティブな出来事についてどのように対応したかを分析した。
結果、間違いを公の場で認めた企業のほうが、それを隠蔽しようとした企業よりも、1年後の株価が高いことがわかった。
リーの研究に触発されたホーは、謝罪と経済的成果を結びつける別の証拠を追求。同僚のエレイン・リューとともに、アメリカにおける医療事故の取り扱いに着目した。
医師はミスを犯して患者に害を与えた場合、苦しい立場に置かれることがある。彼らが誠実だと仮定すると、謝罪したいと思うだろう。だが、そうすることで破滅的な訴訟という脅威にさらされる。
ここで、患者の気持ちになって考えてみよう。自分や愛する人の人生を不必要に苦しめた医師から一言の謝罪ももらえなかったとしたら、あなたはどう思うか。激しい怒りを覚えるのではないか。もともとは訴えるつもりがなかったとしても、今となってはそうしてやりたいと思うはずだ。
医療現場ではまさにこうした事態が起きていた。患者が怒りを感じているのをよそに、医師は謝罪に二の足を踏み、それがさらなる怒りを呼び起こし、結果、訴訟へと至ってしまうのだ。
この悪循環を断ち切るために、アメリカの多くの州──ホーとリューが論文を発表した時点で36州──では、医師の謝罪を裁判の証拠として認めない法律が制定された(2005年には、バラク・オバマとヒラリー・クリントンの両上院議員が、同じ趣旨の法案を上院に提出している)。背景には、医師が安心して謝罪できるようにすることで、患者との関係を改善し、訴訟が起こる可能性を抑えたいという思惑があった。
ホーとリューの研究によると、こうした「謝罪法」が制定された州では、医療過誤訴訟の発生件数が16から18パーセント減少し、解決に至るまでの時間も20パーセント短縮されたという。
費用と労力のかかる訴訟の件数がこれほど減ったのが、権威ある人物から謝罪の言葉を聞けたからというだけなんて──この発見により、謝罪に具体的な価値を見出したホーは、すでに展開していた持論の正しさを確信した。
すなわち、「謝罪が効果を発揮するには、謝るのがむずかしいと思わせなければならない」と。