謝罪には「コスト感」が絶対。〜だとしたら申し訳ない、がNGな理由

『CONFLICTED(コンフリクテッド)』(イアン・レズリー著、光文社刊)

謝罪にはコスト感が必要

医者であれ、建築家であれ、政治家であれ、専門家との良好な関係を保つには、彼らに対して深い信頼を寄せなければならない。だがそうした専門家がミスをすると、お互いの関係は危ういものとなる。

ホーによれば、謝罪によって人間関係のダメージを修復できるかは、その謝罪がコストとして映るかどうかにかかっているという。ホーは、経済学や生物学に影響を与えた数学の一理論であるゲーム理論を例に挙げて説明する。

ゲーム理論における「コストの高いシグナル」とは、動作主(エージェント)が偽りがたい方法でコミュニケーションをとることを指す。

生物学で言えば、オスのクジャクの羽がその典型である。チャールズ・ダーウィンはその存在を知ったとき、絶望的な気分に陥った。こうした精巧で重量のある装飾品の裏に、進化上のロジックを見出せなかったからだ。

ゲーム理論家の説明によると、ポイントは羽の過剰さにあるという。オスのクジャクは、王様が富と権力を誇示すべく非常に手の込んだ宮殿を建てるように、自分がすこぶる頑健であることを示している。健康さや力持ちであることを他者に納得してもらうには、そうしたシグナルが偽りのないものでなければならない。

ホーは、謝罪にも同じ理屈が当てはまると考えている。だれかから不当な扱いを受けたとき、私たちは謝罪を求める。しかし多くの場合、言葉だけでは十分でない。それを言うのが相手にとって大変だと感じられなければならないのだ。

恋愛カウンセラーはカップルに対し、相手との溝を埋めるために謝ることを勧めるが、恋愛経験のある人ならわかるように、謝るタイミングは早すぎてもダメだ。苦労して謝っているように見えないと、その言葉は白々しく口先だけのものに聞こえてしまう。

事実、私たちは謝ってくれた大切な人をとがめたり、なぜ今さら謝るのかと問いつめたりする。それもこれも、相手に感情的な代価を支払ってほしいと思っているからだ。

同じことは、企業の謝罪にも当てはまる。ホーいわく、企業や政治家が公の場で謝罪して嘲りや罵倒を浴びたとしても、その謝罪は時間の無駄にはならないという。そういった軽蔑の声が、かえって謝罪を効果的なものにしてくれるからだ。

ホーは、コストのかかる謝罪の仕方をいくつか挙げている。

Photo by Isabel Pavia / Getty Images

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まずは「悪かった。おわびに花束を買ってきたよ」というもの。これはもっともシンプルな方法だ。過ちの代償は一目瞭然である。花の値段は、高ければ高いほど効果的だ。

次に「ごめんなさい。もう二度としません」という「約束をともなう謝罪」。代償は、あなたが将来の選択肢を放棄していることである。もちろん、ふたたび同じ過ちを犯したときは、うまくいく見込みは薄い。

さらに、私見ではイギリス人男性に多いと思われる謝り方で、「ごめん。ぼくがバカだったよ」というもの。これはとりわけ興味深いアプローチだ。自分が有能だと思われる権利を取り引きに使っているのである(ホーはこれを「地位に関わる謝罪」と名づけた)。

最後に、「すまない。でも私のせいではないよ」という謝罪。ミリアム・オースティンガはこのタイプを「回避」と呼ぶ。これは、関係を修復するのに効果的な方法とは言いがたい。謝ることにコストがかかっていないからだ。しかし、あなたの能力に対する周囲の評価が非常に高く、自分のせいではないと示せるなど、状況によってはこの方法が最善ということもある。
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文=イアン・レズリー 訳=橋本篤史

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