──山内さんは2020年にファミリーオフィス「Yamauchi No.10 Family Office」を立ち上げています。同社の哲学は、「子供たちの未来、次世代への富・知見の還元」。このような哲学にたどり着いた経緯や、世界の子どもに対する思いを教えてください。
自分の役割を定義することは、僕にとっては半分、命がけなんです。何者でもないと潰れてしまうので、重責に耐えられるだけの強度を自らに与えなければいけない。
その中で、コンピューターゲームの開発・製造・販売企業として築いた資産を受け継いでいくのであれば、次世代の子どもに対してコミットすることが私のミッションだろうと思いました。
任天堂の創業理念を私なりに定義すると、「独走性」「チャレンジ精神」「先見性」「ユーザー目線の思考」となります。言わば、任天堂らしさとは、世の中の常識や既存のシステムにとらわれないこと。枠の裏や外をのぞき込もうとするマインドが、未来を生きる子どもにとって必要ではないかと思うのです。
──「Yamauchi No.10 Family Office」は現在、主にスタートアップへの投資をされていますね。
はい。投資を通して、世界中の経営者やクリエイターなど、“枠の外を覗いている人たち”と繋がりはじめています。
世の中を変えるスイッチは、アウトプットする能力を磨くだけでは見つからない。子どものころの、強烈で刺激的な大人との出会いが財産になると思うので、彼らとのつながりを近い将来、子どもたちに還元したいと考えています。
ケント紙でつくったファミリーコンピューターの模型
──もうひとつ、京都の門川大作市長が開業セレモニーの挨拶でされた、清水五条から七条までの高瀬川の護岸工事の話についてお聞かせください。本来であれば7年はかかるところ、「2025年開催の大阪・関西万博に間に合わせましょう」と、多額の寄付をされたとか。任天堂創業の地に対する恩返しという思いがおありなのでしょうか。
そうですね。当然のことですが、「丸福樓」だけがうまく運営できればいいわけではなく、その地域を含む景観や、もっと言えばもともとの地域文化を守ることが重要だと考えているんです。どのような地域として残ったらいいのか、長期的な視点が必要というか。
私ごときが恐縮ですが、厳しい言い方をすると、京都の観光はこれまで安直に、資本主義的に動いてきたツケが回ってきたのではないか。このコロナ禍で、「こういうリスクがあったのか」と京都の方々はすごく実感しているはずなんです。
それで今回の高瀬川護岸工事の話を聞いたとき、これまでと同じやり方ではいけないと考え、僭越ながら手を挙げさせていただきました。
丸福樓付近の高瀬川(筆者撮影)
──寄付以外にも関わられますか。
はい。高瀬川は、清水五条より北は、基本的に片側だけにしか樹木がありません。でも、鍵屋町周辺のエリアはさまざまな事情で100年ほど放って置かれたのもあり、五条より南は川の両岸に樹木が生えているんです。地域の人たちが鉢植えを河岸に並べたり、木を植えて育て、それが大木になっていたりする。非常に自由でユニークなエリアです。
つまり、そういうのって、あとからグランドデザインできないんですよね。そのような地域ならではのカラーを排除し、既視感のあるものをつくることが、本当にこの地域のためになるのだろうかと。
私はいまこのような立場にいて、門川市長とお話をする機会に恵まれました。また、防災まち歩きや川掃除に参加させてもらい、自治会との方々との距離も少しずつですが近づいてきているのかなと思います。今後も地元の皆さんのお話に耳を傾け、受け止めつつ、護岸工事についても何かしら助言できたらいいなと思っています。