90年以上経つ建物をここまできちんと保存できていたのは、京都という土地柄か、山内家の思想か、その両方か。
とにかく既存棟が見事の一言に尽きる。外観のみならず、タイルや照明器具などの設え、部屋の家具や調度品に至るまで、当時の意匠がそこかしこに残っている。ロビーに置かれている大型の柱時計は、当時のタイムカードの機能が組み込まれたアンティーク。廊下の一部の壁紙については当時のデザインを探し出して復元されたそうだ。
ある意味、百年モノのお宝がそこここで息を吹き返したようなホテルであり、既存棟の階段を上り下りしているうちに、この古城をマリオのように思う存分探検したいという気分になってくる。
クローバー棟にある当時の運搬エレベーター(使用不可)。電球にさりげなくクローバーのマークが
あえての不便さや不自由さを楽しむ
ホテル全体の設計・監修を務めた安藤忠雄は、依頼を受けた当時のことを「とにかく90年以上保ってきたこの建物を、可能なかぎり残そうと。できるだけ変にいらわない(触らない)と決めた」と振り返る。
「任天堂っていうのは世界中の人が知っています。だからここが“古いものを大切にして未来を考える”という京都の中心になればいいな、そのように世界へと発信できればいいなと思い、設計をさせていただきました。今日、完成したホテルをあらためて見て、意外と落ち着いていて、いいなあと(笑)。設計者がこんなこと簡単に言ったらいけませんけどね」
ハート棟の一部屋。クローゼットの扉は部屋のもとのドアを再利用。部屋を取り囲む幾何学図形が印象的
一方、スタイリッシュで居住性の高い新築棟には、安藤らしい仕掛けがいろいろある。
例えば廊下の壁にかかった、青リンゴの絵。タイトルは「青春」とあり、サミュエル・ウルマンの「青春の詩」からインスピレーションを受けた安藤が自ら制作した。「目指すは甘く実った赤リンゴではない、未熟で酸っぱくとも明日への希望に満ち溢れた青リンゴの精神です」という若者へのメッセージが込められているそうだ。
新築棟のレジデンシャルスイート。客室料金は、1室2名利用時で1泊10万円〜
レジデンシャルスイートのリビングには、安藤建築を象徴するコンクリート打ちっぱなしの柱が立っていた。
極め付けは動線だ。夕食・朝食を提供するレストラン「carta.(カルタ)」へ行くには、一度ホテルを出なければならない。これも安藤ならではの「不便さや不自由さを楽しむ」から決定されたという。
未来に向かって、新しい時間を積み上げる
古き良きものを再利用しつつ、現代の宿泊施設としてよみがえらせるというならば、特にここ京都においてははさほど珍しくもない。しかし、丸福樓にはここならではの施設がある。
ライブラリー「dNa(でぃーえぬえー)」。現在は宿泊客のみ拝観・利用可能
それが、元事務所棟の2階にあるライブラリー「dNa(でぃーえぬえー)」だ。関連書籍や花札のデジタルアート、ケント紙でつくったファミリーコンピューターの模型、89年発売の携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」などが展示され、任天堂の歴史や創業理念が感じられる空間となっている。
発案したのは山内万丈。宿泊客は無料で使えるほか、今後は京都の起業家やクリエイターを招いた交流イベントを開く予定だ。
山内は開業セレモニーの挨拶で、祖父の山内溥についてこう語っている。
「苦節30年をかけて任天堂を大きくしてきた山内溥ですが、何も急な思いつきで花札からゲームビジネスへと転換したわけではありません。その過程には、非常にハングリーかつ孤独かつ試行錯誤を繰り返してきた長い挑戦の時間があります。その長い挑戦を見守ってきた建物が、いまホテルとして生まれ変わりました。これから未来に向かって新しい時間を積み上げていく場所になればと願います」
いわば「丸福樓」そのものが、任天堂のものづくりの精神の象徴であり、これからの世代のクリエイティビティを刺激する場となっていくのだろう。山内家がここをホテルにした最大の理由がそこにある。
さて、冒頭の「愛ある落書き」についてだが、なんとフェンスごと保存してあるらしい。「いつかどこかに設置して、皆さんにまた自由に落書きしてもらえたらいいなと思っています」と茶目っ気たっぷりに山内が話してくれた。
高級ホテルには似つかわしくないと言う勿れ、これこそが任天堂創業家の遊び心なのだ。
開業セレモニーにて。左から山内万丈、運営会社Plan・Do・Seeの幹部、安藤忠雄、京都市長の門川大作