時は徳川幕府。江戸日本橋といえば東海道の起点であり江戸の中心地。当時の様子は、葛飾北斎の「冨嶽三十六景 江戸日本橋」からうかがい知ることができます。
実はこの浮世絵、橋は描かれていません。大勢の人々が日本橋の上を行き交う頭頂部のみが絵の下部に描かれ、西に向かって絵の中央を流れる川の両サイドには、奥行きを表現した白壁の倉庫が左右対称に並んでいます。
冨嶽三十六景 江戸日本橋
また、遠近法の先にあたる川の先には天下の江戸城が鎮座し、その彼方には富士山が望めるというなんとも斬新な構図。活気のある街の様子と遠くに佇む景観が対比し、当時の人々の暮らしや、見ていた情景が思い浮かびます。
1911年(明治44年)4月3日は、それまで木造だった日本橋が、石造二連アーチの道路橋として架け替わり開通した日。ルネサンス様式の装飾が施された中に、麒麟や獅子といった東洋的なモチーフも取り入れた和洋折衷なデザインに仕上がっています。
そんな日本橋は、東京都中央区に所在していますが、周囲には日本橋本町、東日本橋、日本橋人形町、日本橋茅場町と、「日本橋」を冠する町名が21もあり、ここに東京駅東側の八重洲1丁目を加えると旧日本橋区になります。1947年(昭和22年)に京橋区と合併して中央区となる際、「日本橋」の名前を残したいという声が多く上がったため、このような町名になったとのこと。
江戸から東京へとうつり変わり、時代と共に新しい景色を見せてきた「日本橋」。現在では上を走る高速道路の地下化も進んでいると言われていますが、これから日本橋のある風景はどう変化していくのでしょうか。
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