しかし、15年前、全盛期は年間10万人も訪れていた庭園の観光客は右肩下がりとなり、1万人を割るほどに低迷を続けていた。その頃、経営を引き継いだ楽園計画代表の小原嘉久は、ホテルへの思いを次のように語る。
「28歳で家業に戻り、庭園のツツジが満開だった。それは幼少期の思い出と変わらない景色であり、それでも美しく普遍的なものだった。この景色は全人類が愛でられるものに違いない。より多くの人に見てもらい、この場所に昔の賑わいをとり戻したいと思いました」
春になると満開になるツツジ。この風景を多くの人に楽しんでもらうため、小原は奮闘した
後を継いだが、倒産まで3年と迫った危機
小原家は、祖父の代に佐賀県嬉野市で温泉旅館を開業し、父の代に御船山楽園を購入、そのため小原の幼いころは、御船山楽園の庭園が遊び場だったそうだ。
2003年、地元を離れDJとして活動をしていた小原に、体調を崩した父から「戻ってこないか」と相談があり、家業に戻ることを決意。2007年、32歳の若さで社長に就任したが、その半年後に父は病で亡くなったという。当時のことを小原はこう振り返る。
「社長になってみたら経営状態は火の車でした。年間2000万円の赤字経営が続いている状態で、このままだと会社のキャッシュは3年で維持できなくなる状態。そのため、眠る間も惜しみながら働かざるをえなかったのです」
そんな御船山楽園ホテルが最初に注目されるきっかけとなったのは、最新のテクノロジーを活用したアート集団「チームラボ」とのコラボレーションだった。
以前から今までにない組み合わせによって新たな表現ができないかと構想していた小原は、チームラボの社長である猪子寿之に直接交渉して、すぐに意気投合。プロジェクトが実現するまでに時間はかからなかった。
まず庭園の大きな池にプロジェクションをした「デジタルアート」を2015年に展開。毎年規模を拡大しながら、2017年には展覧会の名称を「かみさまがすまう森」に変え、今日に至る。コロナ前の展覧会期間中の入園者は15万人を越え、多くの観光客が訪れるようになった。また、ホテルのエントランスも、チームラボと協業して、アート作品を取り入れリニューアルするなど、多くの「仕掛け」を設えた。
自然との調和を意識したサウナを展開
現在、ホテルのキラーコンテンツとなっているサウナの着想は、小原の原体験に基づくものだそうだ。小原は語る。
「事業再生中のたいへんな時期に、サウナは肉体的にも精神的にもリフレッシュできる時間で、毎日のように通っていました。興味をもって調べてみると、サウナの発祥は奈良時代から根付いていた『蒸気浴』にも通ずるものだということを知りました。『温泉』と『蒸気浴』を組み合わせ、御船山楽園の自然と一体になるような、現代の湯治場を実現したいと思いました」