第一話:「リスクしかない」起業までの2年間 創業メンバーの士気をどう維持したか|ヤプリ 庵原保文 #1
全力で空振りし続けた"奇跡の2年半”
──まずはtoCから始められ、現状のtoBサービスとしてプロダクトマーケットフィット(PMF)に到るまでにどのような変遷があったのでしょうか?
我々の場合、完全なるプロダクトアウト(顧客ニーズより企業側の理論を優先して製造販売すること)からスタートしました。「ノーコードでアプリが作れる」サービスは絶対にニーズがあるという直感をベースにプロダクト開発したので、正直言ってマーケットや売り方は深く考えていませんでした。しかも市場のパイオニアだったので、先行者の成功事例もありません。
なのでおっしゃる通り、最初は個人向けのサービスとして低単価・クレジットカード購入型で売り始めたのです。しかしながら、1年経っても売上がなかなか伸びませんでした。
創業時に調達したお金も徐々に減っていき、2年目くらいからビジネスモデルを試行錯誤し始めました。その一つの方向性として始めたのが、サービスの付加価値を高くして法人に販売するBtoBサービスでした。
とはいえ、toBサービスとしても最初からいきなりうまくいったわけではありませんでした。
── PMFにたどり着くまでを改めて振り返って、良かったことは何でしょうか。
PMFにたどり着くまでの2年半を振り返ると、創業メンバー3人が完全に異なる強みを活かしながらスピーディーに仮説検証を繰り返せたことが良かったのだと思います。
最初の顧客30社はすべて私が一人で直接営業をしましたし、顧客のアポイントが決まったら即座にデザイナーの黒田とエンジニアの佐野がデモアプリを開発して、商談の場で実際に作ったアプリをお見せする、というスピード感で日々改善を進めていました。
また、創業者3人以外にメンバーを増やすこともしませんでした。ゆえに余計なコミュニケーションや役割の被りも発生せず、超効率的に進められたと思います。
答えにたどり着くまでは長い2年半でしたが、ヤプリの進化においては“奇跡の2年半”だったと思っています。
「これはビジネスにならない」
── 御社の創業期の資金調達についてお聞かせください。
共同創業者の佐野、黒田と一緒に2年もかけて開発したプロダクトでしたので、コンセプト的にも技術的にも、創業時からかなり自信を持っていました。しかし、とあるIT系のCVCを訪ねて行ったところ「これはビジネスにならない」とバッサリ。2年間もかけてこれだけのものを作ったのにやばい、と焦りましたね。
その時に考えたのは、創業時の資金調達ではプロダクトの可能性や技術力うんぬんよりも、創業者個人の評判や信用を強みとして押し出すべきだということ。
アプリの市場すらまだほとんど無い段階で「ノーコードでアプリが作れる」ことの魅力を投資家にゼロから理解してもらうのは難しいと思ったのです。