──そこからどのように方針変更されたのでしょうか?
単純に私たちが個人として評価されるところ、つまりは古巣のヤフーに行こうと考えました。
ちょうど当時YJキャピタルが立ち上がったばかりの頃だったので、昔の上司だった川邊さんに連絡し、YJキャピタル社長の小澤さんを紹介していただいたんです。
小澤さんはプロダクトを見せた途端に目の色を変えて、すぐに3000万円のシード出資を決めていただきました。
私の場合は前職がヤフーであったことが幸運でしたが、他の人でも活かせることがあるとすれば「どんな仕事も一生懸命することが大切」ということです。仕事で得た信頼は、いつか必ず自分に返ってきます。
シリーズAで投資家を選定した理由
──シードから2年半ほどしてシリーズAを実施。創業から比較的長いようにも思いますが、どのような背景があったのでしょうか?
実は途上で数千万円の出資話はいくつかいただいていたんです。経営者としては資金もギリギリだったので飛びつきたい気持ちもあったのですが、YJキャピタルの小澤さんに「大きくやろう」と視座を上げていただき、グッとこらえました(笑)。
私自身、GAFAやヤフーのような社会に大きなインパクトを与えるスタートアップが作りたかったので、シリーズAでの資金調達方針はヤプリにとっての「プレミアムなブランド」にしようと決めました。
最近では護送船団方式のようにさまざまな投資家を入れて資金調達をするのが一般的かもしれませんが、私たちはその真逆。とにかく投資家を選定して限定し、それによって会社の価値を高めようと考えました。
先ほどお話ししたPMFまでの道のりを経て、最終的には代表的なVCであるグロービスキャピタルパートナーズ、そしてSaaS代表格のセールスフォース、さらにはDeNA共同創業者の川田尚吾さんという超豪華布陣に出資いただきました。
── 庵原さんのお話をお伺いしていると、これまでのキャリア、知見すべてを血肉に変えて経営していらっしゃるのが印象的です。
出版会社からヤフーに転職した時は、「なんで最初に出版業界に入ったんだろう」とすごく後悔していました。周りはIT出身者ばかりで知識レベルも段違い。「自分は5年もなんと遠回りしていたんだろう」と。
でも、創業初期にPMFに繋がるクライアントを紹介してくれたのは出版社時代の同僚でした。あれがなかったら、創業期の厳しい時期を乗り越えることはできなかったかもしれません。
スティーブ・ジョブズの「コネクティング ザ ドッツ」はまさにその通りで、苦しいと思うことでも、目の前のことを一生懸命やっていれば、いつか必ず点が線に繋がる瞬間が来ます。
安易に易きに流れるのではなく、志を達成することに集中することが資金調達においても大切なのだと思います。
※インタビュー記事は2021年9月14日現在の内容です
庵原保文(いはらやすぶみ)◎1977年生まれ。出版社を経てヤフーにてメディア系サービスの企画職として従事。その後、シティバンクのマーケティングマネージャーを経て、2013年にファストメディア(現 ヤプリ)を3名で創業し、代表取締役に就任。スマホアプリの開発・運用・分析をノーコード(プログラミング不要)で提供するアプリプラットフォーム「Yappli」を運営する。2020年12月東証マザーズ上場。