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2022.02.26 08:30

「リスクしかない」起業までの2年間 創業メンバーの士気をどう維持したか|ヤプリ 庵原保文 #1


「アプリの時代」到来を確信した


──「Yappli」を創業された経緯をお聞かせください。

1つめの理由は「アプリの時代」が来るという確信です。実はヤプリを起業する3年前、ヤフーを退職するときにヤプリ共同創業者の佐野と一緒にスノーボードの滑り方やジャンプ方法を解説するスノーボードハウツーアプリを作ったことがあったんです。

それは2010年にApp Storeがオープンしたばかりのアプリ黎明期の頃だったのですが、ウェブサービスと比べてアプリのユーザビリティがあまりに圧倒的で。まるで体の一部として使えるような感覚を得て、間違いなく「アプリの時代」が来ると思いました。

2つめは「アプリを作るのは難しい」という原体験。先ほどのスノーボードアプリを作るだけでも、プログラミング言語はウェブではなくてiOSやAndroid用の専門言語を使わなくてはいけません。ゆえにアプリが作れるエンジニアはそもそも母数が少ない。

しかも一生懸命作ったアプリがアプリストアに申請却下されることもある。ウェブサービスを開発してきた身からすると、なんてアプリを作るのは難しいんだと思ったものです。

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Getty Images

この2つの思いが重なりました。来たる「アプリの時代」に、誰でも簡単にアプリが作れる、今の言葉でいうと「ノーコードで」アプリ開発できるサービスがあれば必要とされるんじゃないか、と思いついたのか震災の翌月の2011年4月でした。

──当時はまだアプリが普及する前。事業として成立するか見極めるのは難しかったのでは。

震災から10年経った今、「SaaS・ノーコード開発をやるなんて先見の明があった」と言われるのですが、当時はただ画期的なウェブサービスを作りたい一心でした。BtoBのサービスをやろうとか、SaaSをやろうとかいう意識も一切ありませんでした。

創業メンバーも全員ヤフー出身でBtoCのサービスをやっていたメンバーばかりだったので、正直BtoBサービスを侮っていましたね(笑)。

「こんなに大変だと最初からわかってたいら絶対にやらなかった」とよく創業メンバー間で話しています。

でも無知だったからこそ、恐れることもなく大風呂敷を広げてサービスを開発できました。過去に類似の経験があったら、難しさが頭をちらついて実行できていなかったかもしれません。

※インタビュー記事は2021年9月14日現在の内容です


庵原保文(いはらやすぶみ)◎1977年生まれ。出版社を経てヤフーにてメディア系サービスの企画職として従事。その後、シティバンクのマーケティングマネージャーを経て、2013年にファストメディア(現 ヤプリ)を3名で創業し、代表取締役に就任。スマホアプリの開発・運用・分析をノーコード(プログラミング不要)で提供するアプリプラットフォーム「Yappli」を運営する。2020年12月東証マザーズ上場。

文=中山航介 提供元=DIMENSION NOTE by DIMENSION, Inc. 編集=露原直人

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