開発合宿をあえて上海で
──庵原さんは2年の準備期間を経て起業されています。創業後も最初の2〜3年はうまくいかなかったと。その期間をどう乗り越えられたのでしょうか?
創業前の先が見えない状況での2年間は本当に難しい期間でした。そもそもプロダクトが完成するかわからない。できたところで売れるかもわからない。資金調達できるかもわからない。そういう「リスクしかない」時期にやり続けられる原動力は、創業者たちの「意思」しかありません。
私たちは私とヤフー時代の同僚だったエンジニアの佐野、デザイナーの黒田の3名で共同創業しました。
私はエンジニアではなく、かつメンバーは全員本業がありながらサイドプロジェクトとしてやってくれている状態でしたので、プロジェクトを息絶えさせないためにメンバーをモチベートし続けることが私の最初の役割でした。
具体的にやったことは、サービスが何もない段階でかなり気合の入ったサービスページを作ったり、開発合宿をあえて上海でやったり。メンバーが「このサービスは本当にローンチされるんだ」「自分たちのプロダクトを作って、資金調達をしてスタートアップを起業するんだ」というマインドセットになるように、あらゆる手を尽くしましたね。
──まずは「起業すること」自体を目標にされたのですね。
そうです。「社会課題を解決する」などではなく、とにかく「スタートアップを始める」ことをゴールに設定したことが我々の場合はよかったのかもしれません。とにかく優れたプロダクトをつくって、資金調達をする。その2つのことに創業メンバー全員の意識を集中できたからです。
私自身のモチベーションも、周りが一番サプライズすることをしたい、いつかシリコンバレーの起業家たちのようなスタートアップを作りたい、という思いが一番でした。
結局起業するまでに私が仕様書を作るのに半年、黒田がデザインコーディングを作るのに半年、さらに佐野が実装開発に1年と、合計2年という膨大な時間を費やした上でようやくヤプリは生まれました。
周りにどう言われようと「諦めない」。創業者たちの「意思」こそが、不可能を現実にするのだと思います。